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播但鉄道(ばんたんてつどう)は、現在の西日本旅客鉄道(JR西日本)播但線の大部分、飾磨(のち飾磨港)-新井を建設、運営した日本の私設鉄道であった。兵庫県の播磨地方と但馬地方を結ぶ鉄道として建設されたが、山陽鉄道に路線及び附属物件が譲渡され、山陽鉄道の国有化と同時に官設鉄道の一部となった。 == 歴史 == === 前史 === 1876年(明治9年)、現在の姫路市飾磨と生野銀山の間には生野鉱山寮馬車道が整備されたが、1887年(明治20年)内藤利八、浅田貞次郎ら地元の数名が馬車鉄道で結ぶ計画を兵庫県知事に提出、「生野ヨリ(中略)飾磨港ニ達スル」経路で鉱山と港を連絡する意図で将来は蒸気鉄道にする計画であった〔『日本国有鉄道百年史』第4巻p. 511〕〔『福知山鉄道管理局史』p. 67「當縣(当県)下但馬國朝來郡生野より播磨國神東神西二郡を貫通、飾東郡姫路を経て飾磨港に達する道路は(中略)甞て馬車鐡道(ママ)の御開削の美挙ありしも(鉱山寮馬車道を指す)爾来僅かに荷車人力車の通行に過ぎずして、其交通運輸の便、未々十分なるに至らず(中略)顧うに佛國ドコービル氏發明に係る梯形鐡路は極めて簡便にして能く小輸送に適し(中略)該道路の一部を利用し以て該軌鐡を布設し、馬車を運用し(中略)追って蒸気鐡道の敷設をも謀らんとするの心算に有之」〕。 この頃、舞鶴を目指す鉄道計画が、播丹鉄道(飾磨-生野-福知山-舞鶴)をはじめ、京鶴鉄道(後に京都鉄道となる、京都-園部-舞鶴)、摂丹鉄道(尼崎-福知山-舞鶴)、舞鶴鉄道(大阪-池田-園部-山家-舞鶴)、舞鶴鉄道(大阪-池田-綾部-舞鶴)、南北鉄道(加古川-氷上-舞鶴)と6社の出願するところとなったが、乱立および計画不十分によりいずれも却下された〔『日本鉄道史』中篇pp. 565-568〕〔『日本国有鉄道百年史』第4巻〕〔『福知山鉄道管理局史』〕。 ここに見える播丹鉄道と地元資本による馬車鉄道の関係は資料によって異なる〔『日本鉄道史』pp. 480, 565〕〔『日本国有鉄道百年史』pp. 511-512〕〔『福知山鉄道管理局史』pp. 66-69〕が、生野の馬車鉄道は蒸気動力に変更、飾磨に至る鉄道として、東京の藤田高之らを発起人として1889年(明治22年)10月18日に敷設の出願がなされた〔『福知山鉄道管理局史』p. に引用「一昨明治二十年十一月別紙甲號の通り私共の内にて發起人と相成、播磨國飾東郡飾磨港より、但馬國朝來郡生野銀山間へ馬車鐡道布設を計画し、既に御許可相成居候も、爾來尚お實地に就き精細なる調査を遂げ候に。何分日進の時運交通運輸益頻繁を加え今日に當りて之を汽車鐡道に変換するの必要を感じ、今般飾磨生野間、汽車布設の義、私共發起仕り候幸に右御許可を得て開業致様相成候は、興業殖産の利を増進し、公私交通の便を開達せしめ候義と確信仕候。依て私設鐡道布設条例に遵い右に關する目論見書相添え此段出願致候間御許可相成度候也」〕。しかし、その免許は遅れ1892年(明治25年)7月に再出願となった。仮免許は1893年(明治26年)2月、敷設免許は同年6月30日であった。 長期保留の理由として、他の同種の既成路線に徴してもこの路線が短小なため独立経営が困難で、山陽鉄道と協議するよう試みたが協議が整うまでに至らず、その間明治25年の鉄道敷設法により建設線に該当することになったため、私設鉄道での建設には議会の議決が必要になったこと、そのため申請の手続きが必要になったことが理由とされる〔『日本国有鉄道百年史』第4巻 pp. 511-512〕。さらに経済情勢の変化もあり、発起人にも他の鉄道の経営状態を知るなど事情の変化があると思われるので再度手続きをさせて意志を確かめることになったためという〔『福知山鉄道管理局史』pp. 69-70に引用の井上勝鉄道庁長官の内務大臣への具申書「東京府士族藤田高之外20名より出願せる播但鐡道敷設の件は出願の當時取調候に別段他に差支の毫も無之と存候得共運輸營業上収支の計算に至ては既成線中此れと同種類の經験に照らすに収益甚だ少なくして維持鞏固を保し難きものと認候畢竟如此短小線路を獨立經營せしむるは決して得策に非るべく若し之を山陽鐡道支線の姿とし敷設工事は兎も角運輸の事業は總て同社に於て合併施行候事にも相成候はば大に無用の經費を節省するを得て或は相當の収益を得る見込も相立可訳と存候に付發起人中に其意を諭示せしに一旦承伏して山陽鐡道會社に協議を試みんとするの運びに及候得共發起人中種々の事情存することと相見え竟に協議を果さず遅延今日に及候次第にて最早山陽鐡道と協同せしむべき望も相絶候就ては前述の通条例其他法規上に照らしては別に差支の廉とては無之ものに付此際兎も角も仮免状御下付相成候て可然かと存候得共該發起人中には既に他の鐡道に於て近來經濟困難なるに感じ早已に方向を変じたる趣のものも有之又近來一般の不景気のため引受株金の負擔(担)に堪兼可申歟被存候ものも有之何分出願以來殆ど十八か月余を経過候事に付今日突然仮免状下付相成候ては徒に困難に陥らしむる姿にも可立至やと懸念候間先以て發起人に向て出願の通仮免状下付候はば今日の場合と雖も夫々實際施行可致哉否一應御垂間相成候様致度存候其上吃度御請可致旨申出候間更に仮免状起案候様可致候此段具申候也(明治)24年5月29日[鉄第290号]」〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「播但鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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