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撹上 宏光(かくあげ ひろみつ、1990年9月14日 - )は、日本の陸上競技選手。福島県いわき市出身。いわき総合高校、駒澤大学卒業。コニカミノルタ所属。専門は、長距離種目。身長170cm 体重48kg。 == 来歴・人物 == 東洋大学出身で「山の神童」と呼ばれ、2012年から富士通に所属している柏原竜二は高校の先輩にあたる。 中学時代はバスケットボール部に所属しており、陸上を本格的に始めたのは高校時代から。当時は柏原と同じく駅伝出場経験がなく無名だった。 高校卒業後は駅伝の強豪で、東京箱根間往復大学駅伝競走では「平成の王者」と言われている駒澤大学に進学。大学1年生から駅伝のメンバー入りをした。 2009年11月1日に開催された、第41回全日本大学駅伝対校選手権大会(以下全日本大学駅伝)は、5区にエントリーされ、13位で襷をもらうと序盤から自分のペースを維持し、順位を2つ上げて11位で襷を渡し、35分14秒と区間4位とチームの悪い流れを取り戻す走りをする。最終的にチームは7位でフィニッシュし、平成の王者がシード権を失った。 2010年1月2日、3日に開催された、第86回東京箱根間往復大学駅伝競走は復路7区にエントリーされ、1年生にして初の箱根出場で6位(復路トップ)で千葉健太から襷を貰うと、全日本と全く同じペースで走り順位を2つ上げ、4位(復路トップ)で襷を渡し、1時間05分48秒と区間4位の力走を見せた。チームは総合2位で復路優勝を果たした。 大学2年生になるとチームにはの主力として、駅伝のメンバー入りをした。 2010年10月に開催された、出雲全日本大学選抜駅伝競走(以下出雲駅伝)は、各校の重要な1区を走り、23分41秒と区間8位と、トップと30秒以上開いた状態で襷をつなぎ、チームは3位でシード権ギリギリのラインで終わった。 2011年11月に開催された、全日本大学駅伝は出雲と同じく1区を走り、43分14秒と区間5位とトップと30秒以上開いた状態で襷をつないで、チームは2位でフィニッシュし、2年ぶりのシード権を奪還した。 2011年1月2日、3日に開催された、第87回東京箱根間往復大学駅伝競走は、各校のエースが集う花の2区で、3位で襷を貰ったが序盤からペースが乱れ、順位を7つ落とし、1時間08分36秒と区間10位で、エースとしてふがいない走りをし、チームは往路、総合3位でフィニッシュし3年連続優勝を逃した。尚、この箱根駅伝出場により、2011年度の大学三代駅伝フル出場となった。 大学3年生時の2011年10月に開催された出雲駅伝は3区を走り、8位で襷を貰うと序盤からハイペースで突っ込み、23分38秒と区間6位だったが、チームは2位でフィニッシュし、撹上自身の駅伝初優勝はお預けとなった。 2011年11月に開催された全日本大学駅伝は2年連続で1区を走り、43分42秒と区間3位とトップと、4秒差で襷を渡す力走をし、チームは2区・村山謙太がトップに立ち、そのままフィニッシュし3年ぶり9回目、自身初の駅伝優勝を果たした。 2012年1月2日、3日に開催された、第88回東京箱根間往復大学駅伝競走は、全日本に続き1区を走り、1時間02分27秒と区間3位でチームに流れを作ったが、往路4位でフィニッシュ。復路も9区で2位に立ったがトップ東洋大学が速いペースで走り、トップに立てず総合2位でフィニッシュし、箱根では3年連続東洋大学の次にゴールした。撹上自身は、2年連続大学三大駅伝フル出場した。 大学4年生時は、駅伝主将になり目標は「打倒東洋」。 2012年10月に開催された出雲大学駅伝は、前年度から続いた1区を走り24分06秒と区間11位とトップから37秒差で襷を渡し、走り終えた後は悔しさが隠せなかった。チームは徐々に順位を上げたものの5位とシード権を失ってのフィニッシュで、試合後に監督の大八木から「1区 2区ですべてが終わったろ。まあ そんなもんよ、駅伝ていうのは。だから粘り強さがない。あまりにも悪すぎる、1区 2区 3区があれじゃ話にならない。」と叱責された。 2012年11月に開催された全日本大学駅伝は4大会連続1区を走り、10km過ぎから東洋大学・田口雅也が飛び出し、それについて行けず、43分34秒と区間6位と17秒差で襷を渡す。松阪中継所までトップの東洋大学との差は1分07秒あったが、13km辺りでアンカー・窪田忍が服部勇馬を抜き、その時は、思わず「まだ泣いちゃいけねぇ」と口にして、窪田はどんどん差を広げ、思わず涙が出そうになり「泣くなって自分が言ったのに」と口にし、そのままトップでゴールし全日本2連覇。三大会ぶりに東洋大学より先にゴールした撹上は、今までずっと窪田ばかりに頼り過ぎて「ごめんな 本当に」と謝った。 2013年の第89回東京箱根間往復大学駅伝競走は故障のため走れず、最後の夢を仲間に託した。しかし往路9位とトップから約7分差でフィニッシュし優勝には厳しい範囲だった。しかし、メンバー全員は諦めなかった。レース後、千葉健太始め復路の選手は「一人一人が1、2分縮めればまだ勝てる」と話し合い、翌日の復路は千葉が、山下りのスペシャリストとして順位を3つ押し上げる力走で区間賞の走りでトップとの差を1分半も縮めた。更に9区の上野渉が3人抜きの力走。区間賞の走りをし、駒澤を3位に押し上げた。アンカーの4年生、後藤田健介も区間賞の走りをし、同級生達が名門の意地を見せ、復路優勝を果たした。しかし総合順位は3位。撹上は最後の箱根でも、総合優勝はならなかった。 大学卒業後は、大学の先輩・宇賀地強が所属している、コニカミノルタに入社。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「撹上宏光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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