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攝州合邦辻 : ウィキペディア日本語版
摂州合邦辻[せっしゅうがっぽうがつじ]
摂州合邦辻』(せっしゅうがっぽうがつじ)とは、文楽及び歌舞伎の演目名。安永2年(1773年)2月、大坂にて初演。菅専助若竹笛躬の合作。上下の二段続きで、現在は下の巻の最後「合邦庵室の段」(合邦庵室の場)が多く上演される。古くから伝わる「しんとく丸」や「愛護の若」などの伝説をもとにしている。
== あらすじ ==

=== 上巻 ===
住吉社の段河内国の大名高安通俊の子息である俊徳丸は、摂津住吉大社に通俊の妻玉手御前とともに通俊の代参として参詣していた。この玉手御前は通俊の後妻であり歳は二十前、俊徳丸はそれよりもひとつかふたつばかり年下の先妻の子であった。
ところで俊徳丸には腹違いの次郎丸という兄がいた。次郎丸は自分が先に生まれたにも拘らず、俊徳丸が正室の産んだ子ということで嫡子と決まっていたのを不服とし、家老の壺井平馬とともにこれを覆そうと企んでいた。かねて平馬が呼び寄せていた浪人の桟図書も入れて三人は、俊徳丸を害する相談をするため人目を避けて一旦立ち去る。
参拝を済ませ俊徳丸が境内の松原を歩いていると、松葉を掻く女が声をかけてくる。じつはこれは俊徳丸の言い名付け、和泉の長者の娘浅香姫であった。婚儀を前に待ちきれず、姿をやつして俊徳丸に会いにきたのである。俊徳丸はその志に感じながらも、今は父通俊が病気でもあるから会うのは待つようにいう。そこに浅香姫の家に仕える奴の入平とその女房のおらくが現れ、好いた同士構うことはなし、そこの奥にある茶屋で…と二人に勧めるところへ、玉手御前が腰元たちに酒肴を持たせてやってくる。入平夫婦は仕方なく浅香姫を連れて立ち退いた。
玉手御前はその場で酒肴を広げて腰元たちを遠ざけ、俊徳丸とふたりで酒を酌み交わす。俊徳丸は鮑貝の盃で酒を勧められる。ところが俊徳丸がその盃を飲み干すと、玉手はいきなり俊徳丸の手を掴んだ。驚く俊徳丸に、玉手はなんと俊徳丸への恋慕の心を打ち明けたのである。いかに血のつながりが無いとはいえ、親子のあいだでとんでもないことと俊徳丸は拒むが玉手は許さない。ついに俊徳丸はその場を逃れ、玉手も腰元たちが駕籠を用意し帰館をすすめるので、心残りながらも河内へと帰って行く。
入平おらくは浅香姫を連れて戻るが、俊徳丸はもういない。すると次郎丸が手下を率いて現れ、浅香姫は俺の嫁といって姫を攫おうとするが、入平とおらくが次郎丸たちを追い払った。
高安館の段)住吉より帰ってのち、俊徳丸は大病を患い父通俊と医者のほかは面会を許さぬありさまであった。そんなときに都から勅使が高安家を訪れる。勅使高宮中将は朝廷が、通俊のかねての願いの通り俊徳丸の家督相続を許したので、俊徳丸は当家に蔵する継目の綸旨を持って直ちに都へ上り参内せよという。継目の綸旨は家督を継いだ証しとして必要なものであった。だが俊徳丸は重病である。通俊たちはとりあえず綸旨だけを高宮中将へ渡すことにし、俊徳丸の上洛は待ってもらう事にした。人々はいったん奥へ入る。
一室より俊徳丸が出てくる。病というのはじつは癩病で、俊徳丸はその容貌も変わり果ててしまったのだった。俊徳丸はおのれの身の上を悲観し一旦は自害しようとも思ったが、親に先立ち死ぬのも不孝、しかしこの病では跡目を継ぐ事もかなうまい。この上は腹違いの兄である次郎丸に家督を継いでもらい、自分はこの家を出て行こうと決意し、書置きを残して出て行こうするところに玉手御前があらわれる。自分も一緒に連れて行ってと付きまとい俊徳丸を放さないので、俊徳丸はやむを得ず玉手をそこにありあわせた綱で縛り、そのまま裏門から出て行った。
高安家の執権誉田主税の妻羽曳野がそこに出合わせ、玉手の戒めを解き大声で人々を呼ぶ。書置きを読んで通俊や羽曳野は嘆くが、次郎丸たちは思い通りと心の中でほくそえんだ。高宮中将も出てきて、この上は次郎丸が都に上り跡目を継ぐのがよかろうという。通俊は誉田主税が帰国次第、ただちに次郎丸を上洛させることにしたので、高宮中将は継目の綸旨とその返答を持って都へと帰っていった。
日も暮れて雪が降り出し、庭に白く積もる。その中を館から密かに抜け出そうとする女の前を、傘をかたげる羽曳野がさえぎる。女は俊徳丸のあとを追おうとした玉手御前であった。
玉手御前はもとは名をお辻と言い、先の奥方すなわち俊徳丸の生母に仕える腰元だったが、その奥方が亡くなると通俊に望まれてその後妻となり、名も玉手と改めたのだった。その玉手が以前より俊徳丸に邪恋を抱いていたことを、誉田主税と羽曳野はうすうす気付いていた。腰元風情が奥様と呼ばれる立身をしたにも拘らず、通俊様を裏切って俊徳丸に惚れ口説こうとは人でなし、犬猫も同然と羽曳野は玉手をさんざんに罵る。だが玉手と争ううち、羽曳野は当て身を食らって倒され玉手はその場を走り去った。そこに誉田主税が帰国し、羽曳野から事情を聞く。主税は、俊徳丸と玉手の事も気がかりだが、まずは勅使の高宮中将に不審ありとしてそのあとを追って行く。
龍田越の段)河内から都へと向う途中の龍田山の山道に次郎丸と壺井平馬、そして高宮中将が供を遠ざけて話をしている。都からの勅使高宮中将とは、じつは桟図書であった。次郎丸と平馬は継目の綸旨をひとまず図書に預けておくことにし、その場を去る。すると今度は誉田主税が来て勅使が偽者であることを見破り、継目の綸旨も取り返す。図書は主税に斬りかかるが討たれ、次郎丸の手下たちも出てきて主税に襲い掛かるが、主税は難なくこれらを退けるのであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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