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教皇選挙法 : ウィキペディア日本語版
コンクラーヴェ

コンクラーヴェ()とは「教皇選挙」を意味する言葉で、カトリック教会においてローマ司教たるローマ教皇を選出する選挙システムのこと。Conclave とはラテン語で "cum clavi" (「鍵がかかった」)の意である。
このシステムは、カトリック教会の歴史の中で何世紀もかけて、他国の干渉を防止し秘密を保持するため練り上げられてきたものである。
== 歴史 ==
歴代の教皇たちは、選挙の方法を変更することや望むなら枢機卿団を総入れ替えすることも認められていたが、後継者を指名することだけは許されなかった。
初代教会の司教たちは、その共同体の創始者によって指名されていたと考えられている。やがて、ローマやそのほかの地域で、司祭と信徒、近隣教区の司教たちが集まって司教を決定する方法がとられるようになった。教皇に選ばれる権利のあるのは聖職者のみであったが、彼らには投票権は与えられなかった。その代わりに彼らには教皇を決定し承認する権利が与えられていた。司教はそのプロセスの監視の任を負っていた。教皇候補者が決定すると信徒の同意が求められ、同意を受けて新教皇が決定した。民衆が大声で同意(あるいは不同意)を示すのは古代以来のローマの習慣であった。選出の過程で不透明な部分があると候補者認可が紛糾し、対立教皇が立つというのも古代ではよくあることであった。
769年におこなわれたラテラン教会会議で正式にローマの信徒による承認が廃止されたが、862年ローマ司教会議では貴族に限ってその権利を復活させた。1059年ニコラウス2世教令を発し、枢機卿就任のためにローマの聖職者と信徒の同意を必要とした上で、教皇は枢機卿団から選ばれることと初めて決定した。当時は司教枢機卿たちが最初に集まって誰が次の教皇にふさわしいか討議し、話がまとまったところで司祭枢機卿助祭枢機卿が呼ばれて投票をおこなうという形がとられていた。1139年、ラテラン教会会議で教皇や枢機卿の選出における信徒と下級聖職者の同意が完全に廃止された。
1059年以来、枢機卿団が教皇選出の任務を担っているが、1268年クレメンス4世死去後の教皇選挙が紛糾して3年近く空位が続いたことに怒った民衆が選挙者たちを会場から出られないように閉じ込めた、という故事があり、これがコンクラーヴェの起源といわれる。現在のコンクラーヴェの原型は1274年の第2リヨン公会議での議決に基づいている。
枢機卿団だけが教皇選出権を持つという規定は、1378年以降の教会大分裂の時代において激しい論議の的となった。フランス出身の教皇グレゴリウス11世の死後、ローマ市民イタリア出身の教皇を要求して暴動を起こし、枢機卿団は圧迫に耐えかねてイタリア出身のウルバヌス6世を選出した。選挙に不当な圧力がかかったと感じた枢機卿団は同年、ローマを離れてフォンディへ移動し、ふたたび選挙をおこなって対立教皇を選出した。1409年ピサ教会会議はこの混乱を収拾すべく開かれたが、結局3人目の教皇を選出して事態の泥沼化を招いた。結局1411年から1418年にかけて開かれたコンスタンツ公会議で、2人を廃位し1人を辞任させることで混乱を収拾することに成功した。これ以降、枢機卿団のみが教皇選挙権を持つことが再確認され、公会議は教皇の権威を超えるものではないことが確認された。
枢機卿団は13世紀にはわずか7人だったこともあるが、16世紀に入って急激に拡大し、1578年まで人数は増加の一途をたどった。これを憂慮した教皇シクストゥス5世は枢機卿団の人数の上限を70名とした。20世紀までこの慣例は守られていたが、教皇ヨハネ23世がはじめてこの制限を取り払った。次の教皇パウロ6世も教皇選挙制度の改革に取り組み、80歳以上の枢機卿の教皇選挙への参加を制限、投票権を持つ枢機卿団の人数の上限を120人とした。これは必然的に80歳未満の枢機卿の人数の上限でもある。以後、有権枢機卿の任命は、この上限から相当数の乖離が生じ、その補充を目的として、数年に一度行われている(この規定を逆手に取って80歳以上の聖職者で、教会への顕著な貢献のあるものへの名誉的な枢機卿任命も行われるようになった)。ただし、枢機卿団の年齢構成を考慮して、この上限を上回ることも何度か発生している。
教皇選挙に関する最新の規定は、1996年のヨハネ・パウロ2世使徒憲章『ウニベルシ・ドミニ・グレギス (Universi Dominici Gregis)』(『教皇選挙と使徒座空位について』)である。この規定は新しく作られたものではなく、これまでの慣習をまとめ、時代にそぐわない部分を修正したものである。さらにベネディクト16世が2007年と2013年に自発教令を発して、いくつかの条項について改訂を行っている。以降、『ウニベルシ・ドミニ・グレギス』とは、この2本の自発教令による改訂も含むものとする。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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