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敬満神社 : ウィキペディア日本語版
敬満神社[けいまんじんじゃ]

敬満神社(けいまんじんじゃ〔敬満神社 (静岡県神社庁)。〕/きょうまんじんじゃ)は、静岡県島田市阪本にある神社式内社名神大社)で、旧社格郷社
== 祭神 ==
現在の祭神は次の9柱〔敬満神社境内説明板。〕。
; 主祭神
:
* 敬満神 (きょうまんしん/けいまんしん)
; 相殿神
:
* 少彦名命 (すくなひこなのみこと)
:
* 天照皇大神 (あまてらすすめおおみかみ)
:
* 速須佐之男尊 (すさのおのみこと)
; 合祀神
:
* 建御名方命 (たけみながたのみこと) - 明治7年(1874年)合祀の諏訪神社祭神。
:
* 事代主命 (ことしろぬしのみこと) - 同じく合祀の諏訪神社祭神。
:
* 阿遇突知命 (かぐつちのみこと) - 同年合祀の愛宕神社祭神。
:
* 御食都神 (みけつかみ) - 同年合祀の三狐神社祭神。
:
* 高皇産霊神 (たかみむすびのかみ) - 同年合祀の天神社祭神。
祭神は『日本文徳天皇実録』〔では「敬満神霊」と見えるが、伴信友が『蕃神考』で主張して以来、その素性を秦氏遠祖の功満王に比定する説が知られる。この功満王は、『新撰姓氏録』〔『新撰姓氏録』左京諸蕃 漢 太秦公宿禰条。〕によると始皇帝三世孫の孝武王の子、かつ融通王(弓月君)の父とされる伝承上の人物で、仲哀天皇8年に渡来したという(ただし『日本三代実録』〔『日本三代実録』元慶7年(883年)12月25日条。〕〔『日本三代実録』仁和3年(887年)7月17日条。〕では出自・渡来時期の異伝を載せる)。功満王説では「敬満」が「功満」に比定され、また『続日本後紀』〔『続日本後紀』承和14年(847年)8月己酉(17日)条。〕に遠江国蓁原郡の人として見える「秦黒成」の存在から、当地一帯に居住した渡来系氏族の秦氏がその氏神を祀ったものと推測されている。
近世頃から祭神は文献に少彦名命と記されるようになり、明治以降も少彦名命説を踏襲していたが、昭和13年(1938年)に現在の「敬満神」に訂正された。なお、一帯では現在までに
* 敬満大井神社(榛原郡川根本町千頭)
* 鏡満神社(焼津市西島)
* 敬満神社(榛原郡吉田町大幡の八幡神社に合祀)
の関係社3社の分布が知られ、これらは敬満神社(当社)からの分祀とされる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「敬満神社」の詳細全文を読む



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