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敷城郡(ふじょう-ぐん)は北魏から隋初にかけて設置された郡。州制廃止にともない607年(大業3年)に設置された敷城郡とは別の行政区画である。 北魏により設置され、582年(開皇3年)に廃止された〔『元和志』 後魏置敷城郡、隋開皇三年罷郡〕。当時は敷城県、洛川県、定陽県の3県を管轄していた〔『北周志』 敷城郡領敷城、洛川、定陽三県〕〔『北周志』 無確証説明該県北周世尚存〕が、隋代になると定陽県の所在地が不明となり敷城、洛川の2県を管轄するようになっている。 ==注釈== 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「敷城郡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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