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文の家恋しく・たより(ふみのや こいしく・たより)は、昭和期に活躍した夫婦漫才コンビ。 漫才コンビでありながら寄席や劇場では色物として二人羽織、数字合わせなどの珍芸も売りにしていた。 == メンバー == *文の家恋しく(ふみのや こいしく、1896年 - 没年不詳 、本名:大石楠雄) :元落語家出身で1915年頃に2代目桂文之助の門下でひさごを名乗った。その後かしくと改名、文之助引退後は文之助の実の子の2代目文の家かしく(後の3代目笑福亭福松)の門下に入った。元落語家であったが落語の衰退で仕方なく漫才に転じた。かしくが福松を襲名頃まで健在だったがたより共に消息は不明。 *文の家たより(ふみのや たより、生没年不詳 、本名:大石?旧姓は和田?) :東京の落語家の3代目古今亭志ん生の娘で常盤津の出で常盤津文字喜代と言った。後に大阪で出てかしく(後の3代目福松)の門下になりたよりと改名。恋しくを相方に高座を勤めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「文の家恋しく・たより」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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