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文化の大火(ぶんかのたいか)とは文化3年3月4日(1806年4月22日)に江戸で発生した大火。 明暦の大火、明和の大火と共に江戸三大大火の一つといわれる。丙寅の年に出火したため、丙寅の大火とも呼ばれる。通称車町火事・牛町火事。 ==経過== 出火元は芝・車町(現在の港区高輪2丁目)の材木座付近。午前10時頃に発生した火は、薩摩藩上屋敷(現在の芝公園)・増上寺五重塔を全焼。折しも西南の強風にあおられて木挽町・数寄屋橋に飛び火し、そこから京橋・日本橋の殆どを焼失。更に火勢は止むことなく、神田、浅草方面まで燃え広がった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「文化の大火」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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