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文化・通信省 : ウィキペディア日本語版
文化・通信省[ぶんか つうしんしょう]

文化・通信省(ぶんか・つうしんしょう、)は、フランスの省の一つ。1959年シャルル・ド・ゴールの肝いりでMinistère des Affaires culturellesの名称で設立された。初代文化大臣はアンドレ・マルロー1997年から正式名称は、文化・通信省(Ministère de la Culture et de la Communication)。文化省は、フランスの文化行政を担当し、国立博物館と記念碑に関しこれを管理している。その他、絵画、彫刻、演劇、舞踊、建築、文学、放送、映画などの広範な芸術分野を管掌し、フランスの国内外で保護・振興策を推進している。また、国立公文書館・アーカイブと地域の「メゾン・ド・キュルチュール」(''maisons de culture''、文化の家、文化センターにあたる)を管理している。本庁舎は、パリパレ・ロワイヤルにある。
== 歴史・概要 ==
元来、フランス王国ではルネサンス時代、イタリアブルゴーニュ公国などの宮廷に影響を受けて、芸術・文化を保護、後援する風潮があった。また、自国の芸術・文化の発展が国威高揚と直結するという概念が16世紀頃からフランスには見られるようになっていった。このような概念は、フランス革命以前、ブルボン王朝によるアンシャン・レジーム(旧体制)期にアカデミー・フランセーズや王立絵画彫刻アカデミーの創設やその他の芸術文化の保護という形で実際に目に見える形で実施されている。特にルイ14世及び国王の意を受けた財政総監ジャン=バティスト・コルベールの方針は、芸術の保護と国家の威信が結びついたものであり、国家による補助金やタペストリー工房の保護なども行われた。
このようなフランスの文化保護政策の伝統を現代に復活させたのが、シャルル・ド・ゴールである。1959年ド・ゴールは、初代文化相に小説家で、第二次世界大戦中、「自由フランス」で共にレジスタンス運動をしたアンドレ・マルローを任命した。マルローは文化相就任以前にド・ゴールの下で情報相などを務めており、ド・ゴールの唱える「偉大なフランス」に対して、文化への接近の民主化、すなわち、「文化の権利」(仏:''droit à la culture'')の概念を提唱するとともに、この概念を新たなフランス憲法世界人権宣言に盛り込むことで戦後フランスの威信を普く世界に発信しようとした。文化相としてのマルローは、国内各地に文化センターを設置し、文化活動を積極的に支援した。マルローは芸術に関しては概して保守的な嗜好であったが、モダンアートとアバンギャルドを理解しうる芸術的趣味の持ち主ではあった。
ド・ゴールに並び文化政策の重要性を認識していたのがフランソワ・ミッテランである。このミッテランの下で文化相を長らく務めたのがジャック・ラングである。ラング自身、Festival du Mondeを設立したプロデューサー、芸術監督を務めた人物であり、ジャズロックンロールラップストリートアートタギングなどの落書き漫画カートゥーン、 ファッションや食を含む広範な大衆文化を文化省の管轄として受け入れたのである。ラングの有名なフレーズに「経済と文化、それは戦いである ''économie et culture, même combat''」というものがある。これは「文化民主主義」と文化への積極的な国家の支援と関与、芸術制作への参加を代表する言葉となった。
ラングの業績としては、音楽の祭典 Fête de la Musiqueの創設に加え、1989年フランス革命200周年記念式典の演出、監督、記念事業が挙げられる。ミッテラン自身、パリ大改造に並々ならぬ意欲を傾注し、ミッテランとラングによってパリ市内にはフランス国立図書館ルーヴル宮殿ガラスのピラミッドアラブ研究所オルセー美術館バスティーユ広場新オペラ座ラ・デファンス地区のグラン・アルシュラ・ヴィレット地区の科学や音楽の専門施設などが建設された。
ラングとともに近年の文化相経験者として特筆すべき人物の一人にジャック・ツーボン(トゥーボン)がいる。ツーボンは、ジャック・シラクの側近として台頭した若手政治家であったが、文化相在任中の1994年フランス語を言語として正確に保存する見地から関連諸法制(「ツーボン法」Toubon Law)を制定した。ツーボン法により、外来語(特に英語)の使用について、例えば広告における外国語文章の仏語訳や、ラジオ放送における歌謡曲の4割をフランス語の歌とするなど、一定の制限が課せられることになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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