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文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約(ぶんがくてきおよびびじゅつてきちょさくぶつのほごにかんするベルヌじょうやく、フランス語:Convention de Berne pour la protection des œuvres littéraires et artistiques )は、著作権に関する基本条約である。1886年にスイスのベルン(「ベルヌ」はフランス語読み)で作成された。通称ベルヌ条約。 == 歴史 == 文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約は、国際著作権法学会のヴィクトル・ユーゴーの発案により作成された。そのため、大陸法における「著作者の権利 (right of the author)」に思想的な影響を受けている。これは、著作者人格権を認めず経済的利害関係のみを扱う英米法における「著作権(copyright:複製権)」の思想と対比されるものである。 ベルヌ条約によれば、創作的作品を対象とする著作権は、著作者による明示的な主張・宣言がなくとも自動的に発生する。条約の締結国においては、著作者は、著作権を享有するために、「登録」や「申し込み」をする必要がない。作品が「完成する」、すなわち作品が書かれる、記録される、あるいは他の物理的な形となると、著作者はその作品や、その作品から派生した作品について、著作者が明確に否定するか、著作権の保護期間が満了しない限り、直ちに著作権を得ることができる。 また、ベルヌ条約の加盟国の国民である著作者は、他の加盟国においてその国の自国民である著作者と同等の保護を受けることができる(内国民待遇)。ベルヌ条約の制定前には、世界各国の著作権法は、通常それぞれの国内で作成された作品にのみ適用されていた。その結果、英国人により英国内で出版された作品は英国内でのみ著作権の保護を受け、たとえばフランス国内では何人も自由な複製や販売が可能であった。同様に、フランス人によりフランス国内で出版された作品はフランス国内でのみ著作権の対象となり、英国内では、何人も自由な複製や販売が可能であった。 ベルヌ条約は、知的財産の保護という観点では、1883年の工業所有権の保護に関するパリ条約(パリ条約)の次の一歩にあたる。パリ条約も、特許、商標、意匠といった各種産業財産の国際的な保護の枠組みを作ったものである。 ベルヌ条約は、1971年のいわゆるパリ改正まで数度の改正を経ている(これらはローマ改正、ブリュッセル改正、ストックホルム改正(管理規定)などとよばれる)。パリ条約と同様に、ベルヌ条約でも、管理業務を行うための事務局が設立された。1893年には、両者の事務局が統合され、知的所有権保護合同国際事務局(BIRPI)が設立された。この事務局は、他の国際組織との連携を図るため、1960年にジュネーヴに移転した。その後、1967年には、後継組織である世界知的所有権機関(WIPO)が事務局となり、1974年には国際連合の専門機関となった。 世界貿易機関設立条約の不可分の附属書である知的所有権の貿易関連の側面に関する協定は、ベルヌ条約の主要規定の遵守義務を定めている。このため、世界貿易機関(WTO)加盟国は、ベルヌ条約に加盟していなくても、その主要部分を遵守する必要がある。 2016年2月の時点で、ベルヌ条約の加盟国は169国となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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