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文室大原 : ウィキペディア日本語版
三諸大原[みもろ の おおはら]

三諸 大原(みもろ の おおはら、生年不詳 - 大同元年11月9日806年12月22日))は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族氏姓文室真人のち三諸朝臣大納言文室浄三の九男。官位従四位下備前守

== 経歴 ==
延暦4年(785年従五位下叙爵し〔『続日本紀』延暦4年正月7日条〕、右兵衛佐に任ぜられる〔『続日本紀』延暦4年正月15日条〕。翌延暦5年(786年上総介として地方官に転じる〔『続日本紀』延暦5年8月8日条〕。延暦9年(790年治部少輔に任ぜられ京官に復帰するが〔『続日本紀』延暦9年7月24日条〕、翌延暦10年(791年陸奥介〔『続日本紀』延暦10年正月22日条〕兼鎮守副将軍〔『続日本紀』延暦10年2月21日条〕として蝦夷征討の任にあたる。この間延暦11年(792年)文室真人から三諸朝臣に改姓している〔『日本後紀』大同元年11月9日条〕。
延暦23年(804年)迄に従四位下に至り、その後も播磨守〔『日本後紀』延暦23年2月18日条〕・備前守〔『日本後紀』延暦24年10月11日条〕と地方官を歴任した。大同元年(806年)11月9日に自邸で卒去。最終官位散位従四位下。〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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