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文室 有房(ふんや の ありふさ、生没年不詳)は平安時代の官人。従五位下・出羽権掾。雄勝城司。 == 経歴 == 元慶2年(878年)3月、出羽国で俘囚の乱が起こると出羽権掾だった有房は、同権掾小野春泉と共に兵を率い反乱勢力の手に落ちた秋田城へ向かい合戦する、しかし城内はすでに灰塵と帰しており、敵は日に日に増さる状況であった。 5月、出羽権介藤原統行、小野春泉、文室有房と陸奥大掾藤原梶長が率いて来た陸奥からの援軍、総勢5000をもって秋田城周辺に陣を敷く。 6月、夷俘1000人が突如ふたたび秋田城を襲撃した。夷俘の前に官軍が壊走する中、有房はひとり奮戦し敵数名を斬る活躍を見せたが足に矢を被け撤退する。後日その戦闘の功績を賞され従五位下に叙されている。 その後、解決に向け藤原保則や小野春風が投入されると 有房も清原令望、南淵秋郷、らと上野国の兵600人をもって秋田川の南で守りを固め、また投降してきた夷俘の対応に当たった。乱の終結後は雄勝城司として出羽の安定につとめた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「文室有房」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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