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文室浄三 : ウィキペディア日本語版
文室浄三[ふんや の きよみ]

文室 浄三(ふんや の きよみ、持統天皇7年(693年) - 宝亀元年10月9日770年10月31日))は、奈良時代の皇族(後に臣籍降下)。初名は智努王または珍努王(ちぬおう)。真人天武天皇の孫。一品長親王の息子。官位従二位大納言
== 経歴 ==
神亀3年(717年)無位から従四位下に叙され、大舎人頭に任ぜられる。
天平元年(729年従四位上、天平12年(740年正四位下に昇叙された。天平13年(741年)8月木工頭、同年9月には巨勢奈氐麻呂とともに恭仁京造宮卿に任ぜられる。翌天平14年(742年)正月に開催された宴において、造宮の功労により東絁60疋・真綿300疋を賜与されたが、同年8月今度は紫香楽宮の造離宮司に任ぜられた。天平18年(746年正四位上天平19年(747年)1月には従三位に昇進し公卿に列す。
天平勝宝4年(752年)9月に文室真人の姓を賜与され臣籍に下る。天平勝宝6年(754年摂津大夫天平宝字元年(757年参議治部卿に叙任。
淳仁朝で重用され、天平宝字4年(760年中納言、天平宝字5年(761年正三位、天平宝字6年(762年)1月に御史大夫(=大納言)と急速に昇進し、同年9月の御史大夫・石川年足の薨去により、大師藤原仲麻呂に次いで太政官の次席の地位を占めた。また、同年8月には老いて力が衰えたことから、淳仁天皇から労りのがあり、宮中でを使うことを特別に許されている。天平宝字8年(764年)1月には従二位に叙されたが、同年9月の藤原仲麻呂の乱発生直前に官職致仕し、天皇より労いのがあり、肘掛け・杖・新銭10万文を賜与された。この間、天平宝字5年(761年)頃に浄三へ名を改めている。
宝亀元年(770年)の称徳天皇崩御後、右大臣吉備真備によって皇嗣に推されたが、浄三はこれを辞退したという。その約2ヵ月後に薨去。享年78。最終官位は致仕大納言従二位。臨終にあたり、薄葬とし朝廷からの鼓吹を受けないことを命じ、子らは遺言を守った。このことは当時の人々に称賛されたという〔『続日本紀』宝亀元年10月9日条〕。
なお、『日本高僧伝要文抄』の中に「沙門釈浄三菩薩伝」があり、それによれば伝燈大法師位を授けられたとされる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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