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齋藤内閣[さいとうないかく]
== 概要 == 五・一五事件によって総裁の犬養毅が暗殺された立憲政友会は、後継総裁として1932年(昭和7年)5月17日に鈴木喜三郎を総裁に選出した。これは、元老西園寺公望がテロによって内閣総辞職となった後の首班に同じ政党の党首を推薦してきた慣例を考え(濱口内閣の後継の第2次若槻内閣、また憲政常道の確立以前であるが原内閣の後継の高橋内閣)、大命降下を待ったものであった。しかし、陸軍が政党内閣を拒否したほか世論その他にも政党批判が強かったため、調整の結果、西園寺は元海軍大臣で穏健派の齋藤實を推薦することになった。 1932年(昭和7年)9月、満洲国の独立を承認し、日満議定書を締結する。1933年(昭和8年)2月24日に国際連盟においてリットン報告書の表決を不服とした松岡洋右日本全権が退席。3月3日に発生した昭和三陸地震への対応をしながら、3月8日に国際連盟を脱退を決め、3月27日に正式に脱退した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「齋藤内閣」の詳細全文を読む
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