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斎藤与里[さいとう より] 斎藤 与里(さいとう より、1885年(明治18年)9月7日-1959年(昭和34年)5月3日)は、大正・昭和期の洋画家、美術評論家。 ==経歴== 埼玉県北埼玉郡下樋遣川村(現・加須市)生まれ。本名は与里治。浅井忠、鹿子木孟郎に洋画を学び、1906年に鹿子木とともにフランスへ渡った。1908年8月に帰国した後は「白樺」誌上で、ポスト印象派やフォーヴィスムの作品を紹介した。1912年、岸田劉生らとフュウザン会を結成(翌年解散)。 1924年に槐樹社(1924-1931年)を設立し、機関誌『美術新論』の主幹として美術評論も行った。解散後、1932年に東光会(1932年-)を創設した。 この間、大阪美術学校(大阪芸術大学の前身・大阪美術学校とは別で、1944年廃校。跡地は枚方市立御殿山生涯学習美術センター)の創立に協力し、1926年に教授となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤与里」の詳細全文を読む
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