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斎藤二郎 : ウィキペディア日本語版
斎藤二郎

斎藤 二郎(さいとう じろう、明治元年11月10日〔衆議院『第28回帝国議会衆議院議員名簿』、1912年。〕(1868年12月23日) - 大正6年(1917年7月22日〔『官報』第1494号、大正6年7月24日。〕)は、日本の衆議院議員立憲政友会)。弁護士
== 経歴 ==
片倉氏の家臣斎藤良知の二男として白石城下(現在の宮城県白石市)に生まれる〔『明治弁護士列伝』pp.183-184〕。1886年(明治19年)、上京して英吉利法律学校(現在の中央大学)に入学し、1889年(明治22年)に卒業した〔。翌年、代言人試験に合格し、星亨の法律事務所で訴訟事務を扱った〔『第二十八議会衆議院議員写真列伝』p.98〕。1895年(明治28年)、星が李氏朝鮮の法律顧問官に就任すると、法部補佐官・法官養成所教授として招かれた〔。翌年に帰国してからは再び弁護士業務に従事し、星が駐米公使を務めている間はその事務所を預かり、のちに自らの事務所を開業した〔。1900年(明治33年)、星が第4次伊藤内閣逓信大臣に就任すると、秘書官に任命された〔。
1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第13回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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