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斎藤弥九郎[さいとう やくろう]
斎藤 弥九郎(さいとう やくろう、寛政10年1月13日(1798年2月28日) - 明治4年10月24日(1871年11月14日))は、江戸時代後期から幕末にかけての剣術家。流派は神道無念流。幕末江戸三大道場の一つ「練兵館」の創立者。諱は善道(よしみち)。号は篤信斎。本来の表記は「齋藤彌九郎」「篤信齋」。 == 生涯 ==
=== 生い立ち === 越中国射水郡仏生寺村(現在の富山県氷見市仏生寺)の農民、組合頭・斎藤新助(信道)の長男として生まれた。先祖は加賀国の名族、斎藤氏(冨樫氏)と伝えられる。 文化7年(1810年)、越中の高岡へ奉公に赴き、油屋や薬屋の丁稚となったが、思うようにならなかったので帰郷した。江戸へ出ることを望み、文化12年(1812年)、親から一分銀を渡され出立する。途中、旅人の荷担ぎをして駄賃を稼ぎ、野宿をしながら江戸にたどり着いた。 旗本能勢祐之丞の小者となって住み込みで働き、夜は書物を読んだ。感心した能勢の勧めで、剣術を岡田吉利に、儒学を古賀精里に、兵学を平山行蔵に、文学を赤井厳三に、砲術を高島秋帆に、馬術を品川吾作に学び始め、学問と武芸に励んだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤弥九郎」の詳細全文を読む
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