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斎藤義次[さいとう よしつぐ] 斎藤 義次(さいとう よしつぐ、1890年11月2日 - 1944年7月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 ==経歴== 宮城県出身。陸軍中央幼年学校予科、同校本科を経て、1912年5月に陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月、陸軍騎兵少尉に任官し騎兵第27連隊付となる。1924年11月、陸軍大学校(36期)を卒業した。 陸軍兵器本廠付(軍事調査部)、騎兵第1連隊付、陸軍騎兵学校教官、騎兵監部員、騎兵第14連隊長、騎兵第8連隊長、騎兵第24連隊長、騎兵学校教官、留守第5師団参謀長などを歴任し、1939年8月、陸軍少将に昇進。関東軍補充馬廠長、軍馬補充部本部長を歴任し、1942年12月、陸軍中将となった。 1944年にサイパン島に派遣され、第43師団長として守備隊を指揮する。1944年6月15日よりサイパンの戦いが起き、7月には日本軍の残存兵力は3000まで低下した。日本兵が次々に玉砕する中、斎藤も榴弾によって負傷し、7月6日に洞窟内で井桁敬治少将、南雲忠一中将と共に自決した。最期は切腹した後に、高級副官の鈴木二郎中佐が彼の頭を撃ち抜いた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤義次」の詳細全文を読む
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