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斎藤 誠(さいとう まこと、1958年〔大山卓也 桑田佳祐 (3/11) - 音楽ナタリー 〕1月3日〔日本コロムビア「斎藤誠プロフィール」 〕 - )は日本のミュージシャン・歌手、ギタリスト、アレンジャー、プロデューサー。東京都生まれ〔。所属事務所はtearbridge production。所属レコード会社はエイベックス。青山学院大学在学中に先輩の桑田佳祐と知り合って音楽活動をはじめ〔、1983年にアルバム「LA-LA-LU」でシンガーソングライターとしてデビュー〔PROFILE|斎藤誠 avex official website 〕、サザンオールスターズのサポートギタリストとしても活躍〔。 なお、1983年に「いとまきのうた」を日本コロムビアから発売したコロムビアゆりかご会のメンバー(当時)の斉藤誠(1976年8月8日 - 〔『朝日新聞』1983年8月5日付東京朝刊、13頁〕)とは別人である。 == 来歴 == *1958年、東京都目黒区に生まれる〔。 *幼少期は広島市、宝塚市、世田谷区、静岡市等全国を転々として育つ。幼稚園時代に2回、小学生時代に3回、中学生時代に2回転校・転園〔ギターラボ「音楽の旅日記〜斎藤誠とマーチン君 Vol.7」 〕。 *小学校は宝塚市立宝塚小学校など、中学校は静岡市立安東中学校などに在学〔。 *1976年 *東京都立永山高等学校を卒業〔。 *1977年 *青山学院大学に入学〔格清政典 サザン・桑田佳祐は青学の1年先輩 デビュー30周年の実力派・斎藤誠 - 芸能 - ZAKZAK 2013.12.16〕。桑田佳祐らがいた音楽サークル「Better Days」に入部〔。 *1980年 *青山学院大学在学中、スペクトラムの西慎嗣に楽曲を提供し音楽活動を始める〔斎藤 誠 エイベックス〕。 *1981年 *原由子の1stアルバム「はらゆうこが語るひととき」に楽曲提供、アレンジ、ギターなどで参加。 *1983年 *10月、デビューアルバム「LA-LA-LU」で日本コロムビアからメジャーデビュー。大学卒業後の進路を桑田に相談したところ「お前が音楽をやめるのは10年早い」とのアドバイスを受けたのがきっかけ。また、当時はサザンオールスターズ・桑田と同じアミューズへ所属していた。 *1987年 *アルファレコードへ移籍。 *1988年 *河内淳一のアルバム「One Heart」に(4曲目の「Why」)コーラスで参加。 *村田和人、山根栄子、山根麻衣(のち重実徹加入)と21(トゥエンティ・ワン)を結成し、アルバム「Blue Coast Inn」(1988年)、「GREETING」(1991年)を発表。 *1991年 *「風を抱いて走れ」がヤナセ・フォルクスワーゲン・ゴルフのCMソングに起用される。 *1993年 *福山雅治へのプロデュース活動を開始する(1995年まで)。 *1994年 *桑田佳祐のコンサートツアー『さのさのさ』にサポートギタリストとして参加。以降桑田のソロコンサートの他、サザンオールスターズのコンサートなどにも参加するようになる。 *1996年 *レコード会社をエピックレコードジャパンへ移籍。 *1997年 *近藤名奈とPALMSを結成し、シングル「恋人じゃない」を発表。 *2000年 *サザンオールスターズのギタリストであった大森隆志が活動休止を発表したため、同グループの年越しライブ『ゴン太君のつどい』にサポートギターとして参加。 *2006年 *4月 bayfmでレギュラー番組「DOCOMO Presents THE SESSION」が放送開始される。 *6月25日に行われたTHE 5th ANNUAL TOKYO GUITAR SHOWでのラストショーに、河村智康、佐藤研二とともにクリームのトリビュートバンド“あ *りがとう、クリーム!”として出演。担当パートはエリック・クラプトンで、ギブソン・SGと同イベントで買ったばかりのES-335を使用して演奏した。 *2007年 *tearbridge productionに移籍し、所属レコード会社もエイベックスとなる。 *2010年 *8月 桑田佳祐が食道がんであることを公表し音楽活動を休止したため、桑田のラジオ番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」のパーソナリティを代役として務める。 *2015年 * 9月27日 9年半続いたラジオ番組「THE SESSION」が終了。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤誠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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