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斎藤龍重 : ウィキペディア日本語版
斎藤孫四郎[さいとう まごしろう]

斎藤 孫四郎(さいとう まごしろう、生年不詳 - 弘治元年11月12日1555年12月24日〉)は戦国時代の人物。父は斎藤道三〔『六角義賢条書写』の系図〕。諱は龍重〔『美濃国諸旧記』巻之二p.33-64〕。童名は勘九郎〔。母は深芳野一色義清女か稲葉通利女〔「美濃国諸家系譜」によると深芳野の母は一色左京大夫義遠〕)又は小見の方明智光継女)〔。
斎藤道三の二男〔〔『信長公記』〕として生まれる。『信長公記』によると父道三とあに兄弟の義龍・喜平次の親子四人で稲葉山城に住んでいたという。
弟・斎藤喜平次とともに父の道三に寵愛され、道三は孫四郎に「左京亮」を名乗らせ、跡継ぎにしようと計った〔。『信長公記』によれば、弟・喜平次とともに奢り高ぶり、しだいに長兄・斎藤義龍を侮るようになったいわれる。斎藤家の家督は天文23年(1554年)父道三の隠居で長兄・義龍が継いでいたが、義龍は自身が廃嫡されると考えて一計を計り、孫四郎らを自身のいる稲葉山城の奥の間に病を装って呼び出し、弘治元年(1555年)11月12日、酒に酔わせた後に自身の寵臣・日根野備中守弘就により、孫四郎は弟・喜平次ともども謀殺された。
== 参考文献 ==

*『信長公記
*『美濃国諸旧記』
脚注

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「斎藤孫四郎」の詳細全文を読む



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