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斜里錦菊三 : ウィキペディア日本語版
斜里錦菊三[しゃりにしき きくぞう]
斜里錦 菊三(しゃりにしき きくぞう、本名:京堂 菊三(きょうどう きくぞう)、1917年7月12日 - 1950年1月22日)は、北海道斜里郡斜里町出身で、1930年代末から1940年代にかけて活躍した大相撲力士二所ノ関部屋に所属した。最高位は西前頭18枚目(1943年1月場所)。現役時代の体格は173cm、102kg。得意手は右四つ、押し。
== 来歴 ==
18歳の時に上京し、二所ノ関部屋へ入門。1936年1月場所で初土俵を踏んだ。
入門時から最初の師匠である横綱・玉錦に期待され(四股名は、出身地の斜里郡斜里町と師匠の四股名に由来)、1936年5月場所で序ノ口に付いてから勝ち越しを続け、1939年1月場所で新十両に昇進した。ところがその場所直前に応召され、約3年の期間を経て1942年1月場所より角界に復帰した。
復帰後も勝ち越しを続け、1943年1月場所で新入幕を果たすが、4勝11敗と大きく負け越して1場所で十両に逆戻り。以降は再入幕を目指し十両で奮闘するも、終戦直前に再び応召されたり、病気に罹ったりした事もあって幕内復帰は叶わなかった。
体力の衰えと病に伴って番付も徐々に下がり、最後は三段目18枚目まで陥落して1949年5月場所限りで廃業。
廃業から僅か8ヶ月後の1950年1月22日、病気のため32歳の若さで亡くなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「斜里錦菊三」の詳細全文を読む



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