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仮名手本忠臣蔵[かなでほんちゅうしんぐら]
仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら)とは、人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ。寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座にて初演。全十一段、二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作。赤穂事件を題材としたもの。通称「忠臣蔵」。

== はじめに ==

江戸城松の廊下吉良上野介に切りつけた浅野内匠頭は切腹、浅野家はお取り潰しとなり、その家臣大石内蔵助たちは吉良を主君内匠頭の仇とし、最後は四十七人で本所の吉良邸に討入り吉良を討ち、内匠頭の墓所泉岳寺へと引き揚げる。この元禄14年から15年(1701 - 1702年)にかけて起った赤穂事件、いわゆる「忠臣蔵」の物語は、演劇をはじめとして音曲、文芸、絵画、さらには映画やテレビドラマなど、さまざまな分野の創作物に取り上げられている。この「忠臣蔵」という題名と現在一般に流布する「忠臣蔵」の物語は、『仮名手本忠臣蔵』を濫觴とするものである。
赤穂事件は、『仮名手本忠臣蔵』以前に浄瑠璃や歌舞伎で扱われている。確認できる早い例としては、元禄16年の正月に江戸山村座で上演された『傾城阿佐間曽我』(けいせいあさまそが)の大詰で、曽我の夜討ちにかこつけ赤穂浪士の討入りの趣向を見せたという〔赤間亮「最初の赤穂義士劇に関する憶説」(92頁)。なおこれ以前に『東山栄華舞台』という赤穂事件を当て込んだ芝居が江戸で上演されたといわれているが、その真偽については確認されていない。また元禄16年10月に竹本座で上演されたという浄瑠璃『傾城八花形』も、その内容が赤穂事件に関わりがあるといわれるが、実際には赤穂城明け渡しなどをほのめかす記述がわずかにあるばかりで、赤穂事件を題材とした作とはいえない(『浄瑠璃集』(1985)『傾城八花形』解説)。〕。また元禄16年春に京都で上演された『傾城三の車』(近松門左衛門作)にも討入りの趣向が伺える。その後、赤穂事件を扱ったものとして『碁盤太平記』(近松門左衛門作)、『鬼鹿毛無佐志鐙』(吾妻三八作)、『忠臣金短冊』(並木宗助ほか作)など多くの作が上演されたが、これらを受けて忠臣蔵物の集大成として書かれたのが本作であり、『菅原伝授手習鑑』、『義経千本桜』とならぶ義太夫浄瑠璃の三大傑作といわれる。かつて劇場が経営難に陥ったとき、上演すれば必ず大入り満員御礼となったことから、薬になぞらえて「芝居の独参湯」とも呼ばれていたほどである。それだけに上演回数もほかの演目と比べれば圧倒的に多く、現在に至るも頻繁に舞台に取り上げられている。
『仮名手本忠臣蔵』の「仮名手本」とは、赤穂四十七士をいろは四十七文字になぞらえたもので、赤穂事件を扱った先行作にも『忠臣いろは軍記』、『粧武者いろは合戦』、『忠臣いろは夜討』など「忠臣」、「いろは」といった言葉が外題に含まれるものがある〔松島(1964) p156〕。「忠臣蔵」の「蔵」については、元文5年(1740年)の江戸市村座で『豊年永代蔵』が上演されており、元禄の豪商淀屋辰五郎の家の蔵を「いろは蔵」と称したように、「いろは」を蔵の呼び名にする事があった〔。松島栄一はこうした当時の背景から「いろは」と「蔵」とを結びつけたとし、また「赤穂事件の中心人物である大石内蔵助の名というのも、なにほどかの関係をもっているであろう」と述べている〔。
『仮名手本忠臣蔵』は全十一段の構成となっている義太夫浄瑠璃である。本来ならその全十一段の「あらすじ」をまずまとめて示し、その後に作品の内容について解説すべきであるが、上でも触れたように本作は現在に至るまで頻繁に上演されている人気演目であり、この全十一段は文楽と歌舞伎いずれも、おおむね現行演目として伝承されている。従って段によっては、ひとつの段だけでも解説すべきことは多い。そこで本作については段ごとに原作の浄瑠璃にもとづく「あらすじ」と、その段についての「解説」に分け以下作品を紹介する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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