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斯波氏[しばし]
斯波氏(しばし)は、日本の武家のひとつ。室町幕府将軍足利氏の有力一門であり、かつ細川氏・畠山氏と交替で管領に任ぜられる有力守護大名であった。越前・尾張・遠江などの守護を世襲し、また分家の大崎氏は奥州探題、最上氏は羽州探題を世襲した。
== 足利尾張家 == 斯波氏は、鎌倉時代に足利泰氏の長男家氏が陸奥国斯波郡(しわぐん、現在の岩手県盛岡市の一部及び紫波郡)を所領とし、宗家から分かれたのに始まる。家氏の同母弟兼氏(義顕)は、室町時代に九州探題を世襲する渋川氏の祖である。 家氏の母は、執権北条氏の有力一門名越氏の出身で、当初は泰氏の正室であった。しかし、兄の名越光時らが嫡流の北条得宗家に反乱を起こしたためか、母は側室に退き、家氏も嫡子から庶子へと改められた。代わって得宗家の北条時氏の娘が泰氏の正室となって頼氏を儲け、これが足利氏嫡流を継承することとなった。 だが元は嫡子であり足利宗家とは別に将軍直臣たる御家人となった家氏は、自立できるほどの地位と所領を持てずに宗家の家人になっていった他の足利氏庶流(仁木氏・細川氏など)とは一線を画した存在であった。家氏は、弟頼氏の死後宗家を相続した家時の幼少時にその後見人となって惣領を代行するなど、一門中でも宗家に準ずる格を有した。 この子孫が代々尾張守に叙任され、足利尾張家と呼ばれる。鎌倉時代には足利姓を称する別流の扱いであり、斯波を名字とするのは室町時代になってからのことである。「斯波」姓で記されたものでは、『荒暦』応永2年7月26日条に「管領斯波禅門(義将)」とあるものの、古記録ではさらに時代が降り、『満済准后日記』応永29年11月20日条の「斯波武衛(義淳)」が初見である〔木下聡「斯波氏の動向と系譜」(所収:木下聡 編著『シリーズ・室町幕府の研究 第一巻 管領斯波氏』(戒光祥出版、2015年)ISBN 978-4-86403-146-2)〕。また、「斯波」の読み方についても「斯和」〔『康富記』嘉吉3年6月19日条〕「志王」〔文明12年6月18日兼雅書状(『大乗院寺社雑事記』文明12年7月25日条裏文書)〕などの別表記から、元々は"しわ"だったものが後に"しば"に変化したとする説もある〔小泉義博「室町期の斯波氏について」(初出:『北陸史学』42号(1993年)/木下聡 編著『シリーズ・室町幕府の研究 第一巻 管領斯波氏』(戒光祥出版、2015年)ISBN 978-4-86403-146-2)〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斯波氏」の詳細全文を読む
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