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斯波義廉 : ウィキペディア日本語版
斯波義廉[しば よしかど]

斯波 義廉(しば よしかど)は、室町時代中期から後期の武将守護大名室町幕府管領越前尾張遠江守護。斯波氏(武衛家)11代当主。足利氏一門の渋川氏出身で、三管領筆頭の斯波武衛家を相続した。父は渋川義鏡、母は山名氏出身で山名宗全の伯父に当たる山名摂津守(実名不詳)の娘とされている〔石田、P192。〕。
== 生涯 ==

=== 家督相続 ===
長禄3年(1459年)、斯波氏の先々代当主・斯波義敏は家臣の守護代甲斐常治と対立し(長禄合戦)、8代将軍足利義政の怒りに触れて罷免され、実子松王丸(後の斯波義寛)が家督を相続する。2年後の寛正2年(1461年8月2日に松王丸も廃され、義廉は大まかには斯波氏と同じ足利氏の一門渋川氏の出で、かつ曾祖母が斯波義将の娘であるという縁から、同年の10月16日に義政の特命により斯波氏の家督を継承することとなる。この時、尾張・越前・遠江の守護にも任命されている〔松原、P42 - P43、水藤、P6、谷口、P42 - P43。〕。
この家督相続には幕府の関東政策が絡んでおり、常に軍事力不足だった義政の異母兄の堀越公方足利政知の要請に義政が応じて、政知の執事である渋川義鏡が斯波氏当主の実父という立場から足利一門最強の斯波軍を動員出来るように工作したとも言われている。義政は最初義敏・常治を関東に派遣させようとしたが、両者が命令に従わず内乱を起こしていたため義敏を罷免、松王丸を当主に置いても長禄3年から翌4年(1460年)にかけて斯波氏領国の遠江で今川範将の反乱が勃発、関東情勢に不安が残されていた事情もあった。
ところが、寛正2年10月に再び遠江で反乱が起こり、翌寛正3年(1462年)に幕府の介入で反乱は収まったが、関東で幕府方の上杉持朝と父が政争を起こし、三浦時高千葉実胤太田道真ら持朝の重臣が隠居、事態を重く見た義政により父が失脚させられてしまった。更に寛正4年(1463年)11月、義政生母・日野重子の死去による大赦で義敏・松王丸父子と畠山義就が赦免され義廉の立場は悪化した〔石田、P144 - P157、P165 - P174、P177 - P178、渡邊、P75 - P81。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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