翻訳と辞書 |
斯波義淳[しば よしあつ]
斯波 義淳(しば よしあつ)は、室町時代中期の武将・守護大名。室町幕府管領、越前・尾張・遠江守護。斯波氏(武衛家)7代当主。管領斯波義重の嫡男で、室町幕府前期の有力者斯波義将の孫に当たる。 == 生涯 ==
=== 第一次管領就任 === 応永4年(1397年)、斯波義重の嫡男として生まれる。母は不明。なお、弟の義郷・持有は、父の側室である甲斐氏の産んだ異母弟。 応永14年(1407年)、11歳で武衛家の慣例〔祖父義将、父義重、子義豊も同様に公家の儀式によって元服した(『斯波家譜』)。〕により公家の儀式に准じて元服。この際に将軍義持の偏諱〔武衛家の代々の後継者は将軍の上の字である「義」字を偏諱として受ける慣例があった(『満済准后日記』)。〕を受けて「義淳」を名乗り、従五位下治部大輔に任官する。応永16年(1409年)8月、13歳という年少の身であるにも関わらずに管領に任じられた。これは当時幕閣第一の実力者であった祖父義将(道将)の意向があったと思われる。実際に管領在職中には三条坊門御所への移転などを差配しているが、その実権は祖父にあり、将軍家御教書の署名も父の義重が花押している。やがて翌応永17年(1410年)5月7日に祖父が死去すると翌6月には管領職を解かれている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斯波義淳」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|