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斯波 義眞(しば よしなお、生没年不詳)は、常陸国水戸藩藩士。かつての高水寺城城主家斯波氏後裔。斯波詮国(孫三郎)の次男。号は素端、能書、乱気。兄は斯波行詮(三郎兵衛)。 初め水戸藩附家老中山信治の下におり、後に源義公〔なお、徳川頼房(威公)を源威公ともいうことから徳川光圀(義公)のことと思われる。。〕に12人〔一説15人月俸とも〕月俸の水戸藩士として仕えるが、後に乱心し、死去。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斯波義眞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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