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斯波 詮国(しば あきくに)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。 父詮森が病死した後、仙台、盛岡、秋田を転々としていたが21歳の時に大坂の陣があるのを聞きつけ、秋田から家来30人を連れて本多正信配下として参戦しようとしたが、伏見に到着したところで大坂城が落城して参加出来なかった。このために落胆して、代々縁ある高野山遍明院に出家した。 3年後に高野山を出て、竹岡徳右衛門を頼って京都西六条に住み着き、そこで病死した。 == 参考文献 == *『奥州斯波系図』(続群書類従 巻百十三 系図部八)の詮国の息子・行詮による覚書 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斯波詮国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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