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新井健一郎 : ウィキペディア日本語版
新井健一郎[あらい けんいちろう]

新井 健一郎(あらい けんいちろう、1972年7月7日 - )は、日本男性プロレスラー東京都練馬区出身。身長176cm、体重80kg。DRAGON GATE所属。
== 経歴 ==
かつてはFMWの練習生(1994年頃)であり、同期に中川浩二がいたが、挫折し、実家へ戻る。イベント関係の警備のアルバイトなどを経て、その後闘龍門加入後メキシコに渡り、1998年にデビュー。逆上陸当初は菅原文太似の顔立ちからトラック野郎キャラであったが次第に熱狂的な阪神ファンであることの方がクローズアップされるようになる。正規軍に所属していたが成績不振で解散、その後は新M2K、ファイナルM2K、戸澤塾に所属。タイトル挑戦の機会を何度も与えられるも獲得には至らず、華やかさに欠けることも手伝いシングルプレイヤーとしては伸び悩んでおり、そのことをフロリダ・ブラザーズストーカー市川にいじられることも。一時期、市川のコスチュームで試合をするなどギャグ要員になったこともある。デビュー当初から一貫して坊主頭で2002年にはおそらくプロレス史上初の敗者髪伸ばしマッチを行い、これに勝利(対戦相手はペスカトーレ八木、現在のベーカリー八木)。強度の石頭を駆使した技を得意とする他、空中技にも対応している。
2006年12月28日の後楽園大会にて戸澤塾への勧誘を受ける。それまで戸澤塾入りには難色を示していたが、戸澤アキラ岩佐卓典に秘密兵器として自らの母を送り込まれ、一時呆然状態に陥るも戸澤塾入りは保留した。
ところが2007年1月21日の神戸大会にて試合前のプロレス教室が終わった直後、戸澤塾が登場。するとアラケンはその背後から、元FINAL M2Kの元リーダーの望月成晃を襲撃。そして遂に念願?の戸澤塾入りを果たし、コスチュームを学ラン&ボンタンに変更した。
6月には岩佐をパートナーにプロレスリング・ノア鈴木鼓太郎リッキー・マルビンの持つGHCジュニアタッグ王座に挑戦。惜しくもタイトル獲得はならなかったが、24分間を戦うと大健闘を見せた。
その後、岩佐とのタッグである新岩で第1回Summer Adventure Tag Leagueベスト4進出、さらに9月22日、大田区体育館大会で斎藤了横須賀享の持つIJタッグ選手権に挑戦し勝利、王座獲得しタッグ戦線で頭角を現す。
しかし、10月12日、後楽園ホールで行われた土井成樹吉野正人IJタッグとオープン・ザ・ツインゲートの王座統一戦に破れ王座を失う。さらにパートナーの岩佐も腕を骨折し欠場になる。
11月18日、博多スターレーン大会で鈴木健想とシングルマッチで激突するも敗北。その後、堀口元気に戸澤塾の象徴であるボンタンを奪われてしまう。
2008年1月に岩佐が復帰し、堀口&神田とのボンタン・コントラ・ボンタン&スパッツマッチに勝利しボンタンを取り戻す。(ちなみに新岩が敗れた場合はアラケンはフンドシになる予定だった。)
2月8日に後楽園ホール、岩佐をパートナーに土井吉の持つオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座に挑戦し、勝利し2代目王者となり、雪辱に成功。
2008年に戸澤塾が解散。その後は、黒地の腰に小さく日の丸がプリントされたスパッツに変更。
2009年1月18日Gammaとの敗者ユニット追放マッチに敗れた神田裕之を救出し、共闘を呼びかける。その後、Gammaを追放し(神田は追放されず)、REAL HAZARDを入りし、ヒールターン。コスチュームも「ダメ人間」、「その日暮らし」、「世の中ズルイ奴が勝つ」と書かれた胸には青い日の丸の黒いつなぎに変更した(入場時にはガスマスクも装備している。)。
6月21日には、CIMAの持つオープン・ザ・ブレイブゲート王座にノーロープルールで挑戦し、一度はリングアウト勝ちするものの、反則絡みの裁定により、場外カウント&反則なしの再試合が行われ、敗北。
2010年3月、REAL HAZARDの分裂により神田たちとディープ・ドランカーズを結成。
10月13日WORLD-1との敗者解散タッグマッチで敗れディープ・ドランカーズは解散するが、WORLD-1を裏切った土井の策略で追放され、以後は一人でディープ・ドランカーズを名乗る
望月がジャンクション・スリーを結成するにも入らず、岩佐拓と再び新岩コンビを再び結成。
2012年3月17日、STYLE-E西調布大会にて竹田誠志を破り、STYLE-E無差別級王座を獲得。
4月22日大日本プロレス横浜大会にて初の有刺鉄線ボードデスマッチにて初のデスマッチデビュー
ディープドランカーズ解散後、本体の巡業にほぼ帯同しておらず、関東で試合がある場合や他団体にDRAGONGATEの選手として出撃する場合が多かったが、スペル・シーサーやK-ness.とウインドウズMGを結成。トライアングルゲート挑戦や、琴香とタッグマッチを行い存在感を見せ付けている。
本人曰く「試合に飢えている」とベルト戦線に名乗りや挑戦者を送り込み「戸澤ゼミナール(戸澤塾の事)以来の充実ぶり」と琴香とタッグを組んだりしている。
また、本人曰く一番欲しかったというオープン・ザ・お笑いゲート王座も獲得した。
2015年現在、東京近郊で活動中。所属のドラゴンゲートの大会は後楽園ホール大会以外特に参戦していない。主な参戦団体はプロレスリングHEAT UP・・プロレスリングFREEDOMSガッツワールドプロレスリングである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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