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伊香保ケーブル鉄道(いかほケーブルてつどう)は、かつて群馬県北群馬郡伊香保町(現・渋川市)にあった新伊香保駅から榛名山駅に至るケーブルカー路線およびそれを運営していた鉄道会社である。 == 概要 == 伊香保温泉から榛名山のヤセオネ峠を登るケーブルカーとして1929年9月6日に関東鋼索鉄道により開業。会社設立には上毛電気鉄道社長で製紙王と呼ばれた大川平三郎が関与していた。傾斜長2090mは、当時愛宕山鉄道鋼索線 (2135m) に次ぐものであった(伊香保ケーブル鉄道廃止後は2025mの比叡山鉄道坂本ケーブルが日本最長となっている)。新伊香保駅までは東武伊香保軌道線(1956年廃止)の伊香保駅からバスで連絡していた。 1934年には伊香保ケーブル鉄道に改められた。しかし、その後の太平洋戦争により不要不急線として1944年に休止されレールは撤去された。 戦後、休止から18年後の1961年に運転を再開したが、モータリゼーションの波に飲まれて輸送数は減少に転じ、並行して1962年10月に伊香保榛名有料道路(1981年に群馬県道33号渋川松井田線として無料開放)が開通したことが致命的となって1966年7月10日に休止した後、同年12月19日に復活後わずか5年で廃止された。 戦後の1961年から使われた車両は日立製作所製であった。デザインは同じメーカーによる1959年製造の六甲ケーブル(兵庫県)のものや、1964年製造の八栗ケーブル(香川県)の車両と酷似したものであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊香保ケーブル鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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