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新垣 勇人(あらかき はやと、1985年10月21日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(投手)。 == 経歴 == ===プロ入り前=== 神奈川県相模原市出身〔日本ハム新垣「再出発」緊急昇格&緊急先発プロ1勝 日刊スポーツ 2015年8月20日紙面から〕。中学生時代は「相模原南シニア」でプレーしていたが、この時のチームメイトに、後に日本ハムでもチームメイトになる市川友也がいた〔“中学時代の同僚”ハム市川 攻守で新垣援護 昨季巨人から移籍 スポニチ Sponichi Annex 2015年8月20日掲載〕。 国士舘高校では、3年生の時に春の選抜大会・2回戦(初戦)の対愛工大名電戦において、久古健太郎の後を受け2番手で登板し〔2013年度北海道日本ハムファイターズ選手名鑑 28 新垣 勇人 スポニチ Sponichi Annex〕、2回を投げ自責点0だった〔別冊宝島 プロ野球選手データ名鑑2013 宝島社発行 111頁〕。 横浜商科大学では、3年生時に春と秋連続で神奈川大学野球リーグのベストナイン(投手)に選出された〔選手成績 '06年 春季リーグ 、選手成績 '06年 秋季リーグ 神奈川大学野球連盟〕。大学通算成績は43試合に登板し、249回を投げ19勝7敗、防御率2.23〔。大学の同期に後に日本ハムでチームメイトになる根本朋久、1学年後輩に後に横浜に入団する山崎憲晴がいた。 東芝では1年目に肩、2年目に肘、3年目の2010年の春には背筋を痛めた〔東芝の149キロ男・新垣が11K/都市対抗 日刊スポーツ 2010年9月3日紙面から〕。チームが優勝した3年目の第81回都市対抗野球大会では2回戦と準決勝で先発登板し、計12回を投げ被安打9、与四死球3、奪三振17、自責点4の成績だった〔第81回 都市対抗 本大会 9月2日 東京ドーム 第3試合 2回戦 、9月6日 東京ドーム 第1試合 準決勝 公益財団法人 日本野球連盟〕。4年目にチームの投手のリーダーになり〔4年目149キロ右腕・新垣3安打完封 スポニチ Sponichi Annex 2011年10月23日掲載〕、第82回都市対抗野球大会では1回戦で先発登板、9回を投げ被安打3、与四死球1、奪三振9、自責点0で完封勝利を挙げた〔第82回 都市対抗 本大会 10月22日 京セラドーム大阪 第1試合 1回戦 公益財団法人 日本野球連盟〕。5年目の第83回都市対抗野球大会では3試合に登板し(1先発)、計14回を投げ被安打12、与四死球0、奪三振13、自責点3の成績で〔第83回 都市対抗 本大会 7月17日 東京ドーム 第2試合 1回戦 、7月19日 東京ドーム 第2試合 2回戦 、7月21日 東京ドーム 第3試合 準々決勝 公益財団法人 日本野球連盟〕、大会優秀選手に選ばれた。 2012年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに5巡目で指名され〔「2012年新人選手選択会議」交渉権獲得選手のお知らせ 北海道日本ハムファイターズ球団ホームページ 2012年10月25日配信〕、契約金5,000万円、年俸900万円(金額は推定)で合意し〔日本ハム 5位・新垣と合意 契約金5千万、年俸900万円 スポニチ Sponichi Annex 2012年11月15日掲載〕、入団。背番号は28に決まった〔2012年新入団選手発表 北海道日本ハムファイターズ球団ホームページ 2012年11月22日配信〕。なお、この年の12球団の新人選手の中で最年長だった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新垣勇人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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