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新大阪連絡線(しんおおさかれんらくせん)は、淡路駅 - 新大阪駅 - 十三駅間 (4.030km) および新大阪駅 - 神崎川駅間 (2.963km) を結ぶ計画だった阪急電鉄の鉄道路線(未成線)。 2011年現在、同社は新大阪駅 - 十三駅間 (2.350km) の第一種鉄道事業免許を保有している。 == 概要 == 阪急電鉄は、当時深刻さを増していた梅田近辺の混雑緩和と急曲線が続く京都本線崇禅寺駅付近のバイパス、及び開業が近づいていた東海道新幹線へのアクセス機能を兼ねた新線を計画し、1961年に事業免許を取得し、用地の買収や準備工事にも取り掛かっていた。1964年に開業した東海道新幹線や、引き続き工事が行われた山陽新幹線の高架橋脚にも、新大阪連絡線の開業に備えて橋脚を斜めに配置するなどの準備がなされた。宝塚本線との分岐付近から新大阪駅までの新幹線並行区間も東西に細長く用地買収が行われている。計画では京都本線の特急や急行を新大阪経由に移し、崇禅寺回りは普通列車専用とする予定であった。 しかし、新幹線の博多開業後も建設計画は一向に進展しなかった。新大阪駅付近を副都心として整備しようという計画があったものの、実際にはなかなか発展しなかったため、建設の意義が薄れたことが主な原因である(阪急が新大阪駅周辺の開発に割り込むことができなかったことも理由と言われている)。また、建設のためには十三・淡路両駅の高架化が必要であるが、共に計画があるものの、全く進捗しなかったことも足踏みの原因となった。 もともとは京都本線は天神橋駅(現在の天神橋筋六丁目駅)が起点であり、淡路駅 - 十三駅間は千里山線であり支線にすぎなかった。そこで当初は優等列車を梅田駅 - 京都方面間に直通させることを念頭に計画されたが、用地買収の遅れとその頓挫、その間においての淡路駅 - 十三駅間の高規格化の実現および、その後の十三駅 - 梅田駅間を複々々線化による京都本線のすべての列車の梅田駅への乗り入れと梅田駅の京都本線ホームの拡充3線化の実現によって優等列車も含み梅田駅 - 京都方面間を全列車が直通することとなり、電鉄側は新大阪駅に乗り入れに可能性を残しながらもこの区間からは撤退した形になった。 1989年の運輸政策審議会答申第10号〔運輸政策審議会答申第10号について(近畿運輸局) (Internet Archive)〕では十三 - 淡路間が「平成17年(2005年)までに工事を着手することが適当な区間」とされたものの、着手への動きがないままであった。ようやく淡路駅の高架化計画が動き始めたものの、その計画図には新大阪線の分岐はなく、もはや断念したも同然の状態となっていたが、2002年12月6日に阪急電鉄は新大阪 - 淡路間(1.680km)と神崎川 - 新大阪間の免許廃止申請を提出、2003年3月1日に両区間が正式に廃止となった〔新大阪連絡線の鉄道事業許可の一部廃止について (pdf) 阪急電鉄〕。これにより、免許が有効なのは十三 - 新大阪間 (2.350km) のみとなった。 残る同区間は阪急各線からすると乗り換えを要する「支線」に過ぎず、利便性が高まらない、との見方もある。この区間において阪急は既に8割の用地を取得済みであり、現在はなにわ筋線などの進捗を見て最終的な処置を判断することになっているが、十三駅付近で一部の敷地を他社に売却しており、現実的に建設することは不可能であろうと見られていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阪急新大阪連絡線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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