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新小萱 篤綱(にこがや あつつな、生年不詳 - 永禄3年(1560年)?)は,戦国時代の武将で、白河結城氏の家臣。雅楽頭。 新小萱館を居館とした。 永禄3年(1560年)、二階堂氏家臣の須田盛秀の調略により、白河氏に叛いて二階堂氏に寝返った新城備後守と須田源次郎の討伐を結城晴綱から命じられ、大将として出撃し新城館を攻撃した。しかし、援軍として送られた保土原行藤によって散々に打ち破られ敗退、先陣を務めた白石刑部大輔は戦死し、篤綱も身体に三矢を受け、その傷が元でのちに死没した。これにより新城館は二階堂氏に奪われ、館主は新城備後守の後、須田近江守定綱になったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新小萱篤綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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