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『新小説』(しんしょうせつ)は、戦前の日本に存在した文芸雑誌の一つ。1889年(明治22年)1月から1890年6月まで(第1次)、および1896年7月から1926年11月まで(第2次)発行された。1927年(昭和2年)1月から、『黒潮』(くろしお)と改題し、同年3月まで3号のみ発行した。 == 略歴・概要 == 1889年(明治22年)1月、須藤南翠、森田思軒、饗庭篁村、石橋忍月、依田学海、山田美妙らからなる14名の文学同好会が編集し、発行した〔コトバンクサイト内の記事「新小説 」の記述を参照。〕。翌年1890年(明治23年)6月、1年半で第1次『新小説』の刊行は終了する〔。 1896年(明治29年)4月、第1次の終了の6年後に、幸田露伴の編集で再び創刊した〔。 第2次は隆盛をきわめ、1900年(明治33年)に泉鏡花『高野聖』、1901年(明治34年)5月号に国木田独歩『帰去来』、1906年(明治39年)9月号に夏目漱石『草枕』、1907年(明治40年)8月号に田山花袋『蒲団』、1910年(明治43年)に泉鏡花『歌行燈』、1913年(大正2年)6月号に森鴎外訳『病院横町の殺人犯』(エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人』)、1914年(大正3年)2月号に森鴎外『堺事件』、1916年(大正5年)1月号に森鴎外『寒山拾得』、1917年(大正6年)に泉鏡花『天守物語』、1921年(大正10年)4月号に高群逸枝の長篇詩『日月の上に』、1923年(大正12年)5月号に横光利一『日輪』、1925年(大正14年)9月号に『一人二役』、1926年(大正15年)7月号に江戸川乱歩『モノグラム』をそれぞれ掲載、多くの名作を生み出した〔。 大正期の編集者として、田中純 (作家)、鈴木三重吉、野村治輔らがいる。 1927年(昭和2年)1月、『黒潮』(英副題: ''The Japan current'')と改題したが、同誌は同年3月の第3号で終了した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新小説」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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