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新島襄[にいじま じょう]
新島 襄(にいじま じょう 英字表記:、天保14年1月14日(1843年2月12日) - 明治23年(1890年)1月23日)は日本の宗教家、教育者。学位は理学士。同志社英学校(後の同志社大学)を興した。明治六大教育家の1人に数えられている。 == 生涯 ==
=== 幼少時代 === 天保14年(1843年)、江戸の神田にあった上州安中藩江戸屋敷で、安中藩士・新島民治の子として生まれる。母は武州浦和宿のとみ。本名を七五三太(しめた)という。この名前は、祖父・弁治が女子が4人続いた後の初の男子誕生に喜び「しめた」と言った事から命名されたという説がある。後に敬幹(けいかん)と改名。 元服後、友人から貰い受けたアメリカの地図書から、アメリカの制度に触れ、憧れを持つようになる。その後、幕府の軍艦操練所で洋学を学ぶ。ある日、アメリカ人宣教師が訳した漢訳聖書に出会い「福音が自由に教えられている国に行くこと」を決意し、備中松山藩の洋式船「快風丸」に乗船していたこともあり、当時は禁止されていた海外渡航を思い立つ〔ポール・F・ボラー 『アメリカンボードと同志社:1875-1900』北垣宗治 訳、新教出版社 2007年発行 18-19項 ISBN 9784400226635〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新島襄」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Joseph Hardy Neesima 」があります。
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