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新所沢駅(しんところざわえき)は、埼玉県所沢市緑町一丁目にある、西武鉄道新宿線の駅。駅番号はSS24。埼玉県内の西武鉄道の駅の中では所沢駅に次いで乗降人員が多い。 周辺地域は「しんとこ」(新所)の略称で呼称されることもある〔一例として、しんとこ耳鼻咽喉科 や新所タクシー などの事例がある。〕。 == 歴史 == かつては「所沢飛行場前駅」(ところざわひこうじょうまええき)と称していたものの、軍施設が明らかとなる名称が相応しくないとして後に「所沢御幸町駅」(ところざわみゆきちょうえき)と改称し、所沢中心市街地の北部・御幸町に存在していたが、戦後、「北所沢駅」(きたところざわえき)と改称の上現在地に移転した経緯がある。 当駅の母体となったのは、1938年(昭和13年)6月21日に開業した「所沢飛行場前駅」である。この駅は陸軍所沢飛行場にあった陸軍航空技術学校の校長の要請と、所沢市街北部の開発および周辺住民の便宜を図るため、同飛行場に通じる道の入口、新宿線が東川を渡る場所の本川越寄りに設置された〔現在の新所沢駅所在地から1.5キロほど南東、所沢航空記念公園の真南にあたる。〕。 この所沢飛行場前駅は、川を越えるガードの袂の築堤上に張りつくようにしてホームと小さな駅舎が設けられた単式ホーム1面1線の棒線駅で、駅舎へは階段が通じていた。飛行場に通う陸軍関係者の利用のほか、市街中心地に近いことから通勤・通学客など地元の利用者も多く、1941年(昭和16年)4月1日に防諜のため所在地より「所沢御幸町駅」と改称された後も休止などされることなく戦中・戦後を通じて営業を続けていた。 しかし、戦後、所沢御幸町駅と入曽駅の間で大きな問題が発生した。当時、現在の当駅所在地付近には在日米軍が設けた兵器補給廠への側線が分岐していたが、そこへの貨物輸送の頻度が激しくなったため、列車のダイヤ設定に支障をきたすようになっていたのである。 そこで、この問題を解決すべく、西武鉄道は側線分岐点に駅を建設する計画を立てたが、その際に新たな駅を設置するのではなく、所沢御幸町駅を移転するという体裁を取ることでその用に充てようとしたのである。前述の通り地元利用客の多い駅であったため猛烈な反対運動が起こったが、移転後の代替交通を確保することを条件にこの計画は認可され、1951年(昭和26年)6月11日、駅は本川越寄りに移転するとともに名前も「北所沢駅」と改められた。これが現在の当駅である。駅名が「新所沢駅」となるのは1959年(昭和34年)2月1日のことであった。 なお、所沢御幸町駅跡は複線化用地に転用され、全く何も残されていない。 === 年表 === 前身の所沢飛行場前駅→所沢御幸町駅からのものを記す。 * 1938年(昭和13年)6月21日 - 所沢飛行場前駅として開業(現:所沢市御幸町、東川のガード付近)。 * 1941年(昭和16年)4月1日 - 軍施設が明らかとなる名称は相応しくないとして、所沢御幸町駅に改称。 * 1951年(昭和26年)6月11日 - 米軍基地へ軍事物資を貨物輸送するため、所沢御幸町駅を1.4km北へ移設し北所沢駅を開業(ほぼ現在の場所)。 * 1959年(昭和34年)2月1日 - 新所沢駅に改称。 * 1960年(昭和35年)6月16日 - 西口ロータリーの女神噴水像〔三人の女神像と新所沢駅 - 所沢市立図書館編「所沢の足跡」より(2007.02)〕完成。 * 1962年(昭和37年) - 橋上駅舎完成。西武鉄道初の橋上駅舎となる。 * 1967年(昭和42年)10月27日 - 所沢 - 当駅間複線運転開始。 * 1969年(昭和44年)9月26日 - 当駅 - 入曽間複線運転開始。 * 1994年(平成6年)5月 - 駅舎・ホーム改築工事開始。 * 1996年(平成8年)12月 - 駅ホームを1面2線から2面4線へ拡張する工事が完成し、追越・待避が可能になる。 * 1998年(平成10年)3月26日 - 快速急行運行開始。停車駅となる。 * 2000年(平成12年)11月6日 - 航空公園駅側の踏切が立体交差化し、「新所沢跨道橋」として開通。 * 2003年(平成15年)3月12日 - ダイヤ改正で当駅始発の国分寺線国分寺への直通列車の運行を開始。 * 2005年(平成17年)9月28日 - 下りホームに待合室を設置。 * 2008年(平成20年)5月13日 - 駅名標を更新する。 * 2012年(平成24年)11月5日から11月11日 - 西武鉄道創立100周年を記念して特急レッドアロー号が停車〔 - 西武鉄道〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新所沢駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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