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新民主党(しんみんしゅとう、、略称:、)は、カナダの中道左派・社会民主主義政党。社会主義インターナショナル加盟政党である。創設は1961年。現在の党首は。連邦規模と州規模の両方で活動し、カナダ議会・下院では野党第二党となっている。口語ではレイバー党(イギリスの政党に倣った表現で保守党がトーリー、自由党がホイッグと表記される)とも呼ばれる。 ==沿革== 1958年に労組系と左翼政党が共闘し新しい社会民主主義政党を立ち上げるべく、協同連邦党(Cooperative Commonwealth Federation、略称:CCF)とカナダ労働者会議(Canadian Labour Congress、CLC)が全国新党結成委員会(National Committee for the New Party)を結成。3年間の間の政策議論を行ない新党結成に同意した数名も追加し、1961年5日間に及ぶ結党大会の後、長年CCF党首を務めたトミー・ダグラスを党首に選出し新民主党が成立した。 カナダは保守主義のカナダ進歩保守党(現・カナダ保守党)と、リベラリズムのカナダ自由党の二大政党による政権交替が続き、新民主党は結党以来野党第二党であった。しかし、1972年の総選挙で当時のピエール・トルドー政権与党である自由党が過半数を割り込む結果となった際、閣外協力(1974年総選挙で自由党が過半数を得たことで解消)を行うなど、一定の影響力を有してきた。 1980年以降、3回(1980年・1984年・1988年)行われた総選挙で続けて30議席以上を獲得した。しかし1993年総選挙では、ブリティッシュ・コロンビア州とオンタリオ州におけるNDP政権への失望と党支持層の少なくない部分が自由党に投票したため獲得議席は9議席に留まり、過去最低の結果となり、公式政党(official party status〔公式政党の地位は庶民院で12議席以上を有している政党に与えられるもので、公式政党となると与党への質問の権利や調査スタッフに対する助成金などが支給される。〕)としての地位を喪失した。党支持層の相当数が自由党に投票した背景には、前回88年の総選挙における進歩保守党に対する批判票が新民主党と自由党に分かれた結果、進歩保守党が勝利した苦い記憶に対する反省が指摘されている。 1997年総選挙では21議席を獲得しやや党勢を回復させたが、2000年総選挙では右派政党であるカナダ同盟の政権獲得阻止を目的に党支持層が自由党への戦略投票を行った結果、前回を下回る13議席に留まった。そして2004年総選挙でも前回と同様に支持者による自由党への戦略投票が行われた結果、19議席と当初の予想を大きく下回る結果となった。しかし、この選挙で自由党は過半数を獲得できなかった結果、新民主党は自由党への閣外協力の見返りに健康保険民営化反対や京都議定書遵守など党の政策を反映できるようになった。 2005年11月、保守党が提出した内閣不信任案が可決されたことで行われた総選挙において29議席を獲得し、80年代の水準にまで回復させることに成功した。続く2008年総選挙では37議席を獲得した。そして2011年5月2日の総選挙ではケベック州を中心に強い支持を集めて102議席を獲得と大躍進、結党以来始めて野党第一党となり、自由党に代わって議会第二党となった。 2015年10月19日の総選挙では、解散前の6月には新民主党が保守党の支持率を上回っていた〔カナダ、新民主党の支持率が与党保守党を上回る 10月に総選挙 (ロイター 2015年6月8日 2015年11月7日閲覧)〕が、10月になると新民主党がイスラム教徒の女性が顔を隠すスカーフを着用することを支持したことから宗教を誇示することを嫌う住民が多いとされるケベック州での支持が後退し〔カナダ総選挙、新民主党の支持後退 保守対自由の一騎打ちに (ロイター 2015年10月1日 2015年11月7日閲覧)〕、代わって自由党が支持を伸ばしたため、大幅に議席を減らし、野党第二党・議会第三党に転落した。 ノバスコシア州とマニトバ州、アルバータ州の各州NDPが、現在、地方政府を形成している。以前はブリティッシュ・コロンビア州、オンタリオ州、サスカチュワン州、ユーコン準州の各州のNDPが、地方政府を治めていた。 ケベック州議会選には現在参加していない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新民主党」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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