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新派 : ウィキペディア日本語版
新派[しんぱ]

新派(しんぱ)は、1888年(明治21年)に始まった日本の演劇の一派。当代の庶民の哀歓を描いた演目が多い。本項ではその系譜に連なる劇団新派(げきだん しんぱ)、および朝鮮半島における新派劇についても解説する。
== 来歴 ==
1888年(明治21年)12月、角藤定憲大阪で「大日本壮士改良演劇会」を起こして不平士族の窮状を訴えた壮士芝居(そうし しばい)を始めた。新派ではこれをもってその発祥とみなしている。1891年(明治24年)3月には川上音二郎で「改良演劇」を謳った一座を興して書生芝居(しょせい しばい)を始めた。壮士劇はすぐに廃れたが、自由民権運動の広告塔のような役割を果たした書生劇の方は大評判をとって、やがてこれが新派の骨格の一部として成長してゆく。同年11月には伊井蓉峰浅草で「男女合同改良演劇」を謳った済美館(せいびかん)を旗揚げしたが、これが純粋に芸術を志向する演劇の嚆矢となった。1892年(明治25年)7月には山口定雄の一座が浅草に登場したが、ここで育成されたのが河合武雄喜多村緑郎らの女形だった。
1896年(明治29年)4月、伊井はあらためて伊井蓉峰一座を組織し、生涯その座長であり続けた。同年9月には、川上一座を脱退した高田実らと京阪で公演中の喜多村緑郎らが大阪で合流して成美団(せいびだん)を結成した。彼らは以降、尾崎紅葉の『金色夜叉』、徳富蘆花の『不如帰』、菊池幽芳の『己が罪』、泉鏡花の『滝の白糸』などといった、今日新派の古典に数えられている演目を次々に上演していった。演劇評論家、伊原清々園の観察によると、このころの新派は、歌舞伎に比べ、ほとんどが高等学校以上の知的レベルの高い観客に支えられていた〔; 1 : 谷崎潤一郎との交友を中心に」細江光 〕。
こうして新派は離合集散を繰り返しながら人気を高めていった。新派は歌舞伎の牙城歌舞伎座でも興行し、また歌舞伎役者が新派の演目に出演することもあった。歌舞伎が「旧劇」「旧派」であるのに対する呼称として「新派」と呼び分ける習いも1900年代初め(明治30年代)には定着した。
1904年(明治37年)から翌年にかけ、大阪から戻った高田実、喜多村緑郎らが本郷座を本拠に一座を組み、川上一座・伊井一座・本郷座一党が鼎立した。合同公演もした。本郷座では、佐藤紅緑が1906年(明治39年)から1914年(大正3年)まで、座付作者を勤めた。
1907年(明治40年)、角藤定憲と山口定雄とが死去し、川上音二郎が1911年(明治44年)、高田実が1918年(大正7年)に死去して、新派は伊井蓉峰・河合武雄・喜多村緑郎の「三頭目時代」となり、その一方では井上正夫一座が台頭し、花柳章太郎大矢市次郎柳永二郎らが成長した。三頭目は一座を組むこともあれば、別に興行することもあったが、この三頭目一座の座付作者として名を上げたのが真山青果川村花菱瀬戸英一たちだった。
1923年(大正12年)の関東大震災の直後、初代水谷八重子が新派に初参加し、1927年(昭和2年)以降常連となった。1931年(昭和6年)の三頭目以下の大合同で、瀨戸英一の『二筋道』が大当たりしたが、翌年その続篇を公演中に伊井蓉峰が死去すると、以後は喜多村・河合の一座と井上の一座がときには別々に、またときには合同して興行を続けた。このころから新派の台本を書くようになったのが川口松太郎である。
1939年(昭和14年)、花柳章太郎・大矢市次郎・柳永二郎・伊志井寛に加え、川口松太郎・大江良太郎も同人に迎え、劇団新生新派(しんせい しんぱ)が結成されると、喜多村・河合らの本流新派(ほんりゅう しんぱ)と井上の演劇道場(えんげき どうじょう)が鼎立することになった。
やがて太平洋戦争が始まり、その最中の1942年(昭和17年)に河合が死去すると、『本流新派』と『井上演劇道場』は解散するに至った。ひとり新生新派が戦後間もない1945年(昭和20年)10月から興行を再開し、これに喜多村や井上も参加した。1949年(昭和20年)1月に一度分裂して乱れるが、花柳がこれを収拾して1951年(昭和26年)12月に単一の劇団に合同した。これが今日に連なる劇団新派(げきだん しんぱ)である。
60年を超えた今日も、二代目水谷八重子波乃久里子安井昌二、英太郎、紅貴代らが、新派を支えている。また歌舞伎界との交流も盛んで、当代では五代目坂東玉三郎十五代目片岡仁左衛門十八代目中村勘三郎らが時折新派の舞台に出演している。他の劇団出身者とも交流し、著名な俳優たちが客演参加している。

2016年、1月の初春新派公演から市川月乃助が入団し、同年9月に「二代目 喜多村緑郎」襲名予定。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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