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漫画集団[まんがしゅうだん]
漫画集団(まんがしゅうだん)は、日本の漫画家の団体。 アメリカのナンセンス漫画の影響を受けたいわゆる「大人漫画」を描く漫画家が中心の団体だった〔尾崎秀樹、宗武朝子『雑誌の時代 その興亡のドラマ』主婦の友社、1979年、p.96〕。新聞や一流雑誌を舞台とした、漫画集団メンバーを中心とする大人漫画の流れは、1960年代に少年漫画や劇画などのストーリー漫画が漫画人気の中心になるまでは、漫画の本流とされていた〔夏目房之介『マンガは今どうなっておるのか?』メディアセレクト、2005年、pp.28-29〕〔石子順造『戦後マンガ史ノート』紀伊國屋書店、1980年、pp.72-74〕。 == 沿革 == 1932年6月、杉浦幸雄邸において、横山隆一、近藤日出造ら「当時無名だった若い漫画家たち〔漫画集団(編・著)『漫画昭和史 漫画集団の50年』 河出書房新社、1982年 p.7〕」20人が「明治大正時代から描いている先輩漫画家に対抗して〔」集い、「新漫画派集団」の名で結成した〔『漫画昭和史』p.1 横山隆一「はじめに」〕。発足当初は東京・銀座数寄屋橋交差点に事務所を構え、マネージャーを雇って仕事を請け負っていた〔。 1943年5月、新日本漫画家協会などと統合され、日本漫画奉公会となる〔『漫画昭和史』p.39〕。第二次世界大戦後の1945年10月、かつての新漫画派からなる大東亜漫画研究所〔のメンバーが集まり、塩田英二郎邸で開かれた総会で「漫画集団」と名を改めて再発足した〔。1960年代以降、手塚治虫(1964年)、赤塚不二夫、石森章太郎、藤子不二雄、上村一夫、ちばてつやら、主に少年漫画や劇画で活動する漫画家たちが、相次いで参加した〔『漫画昭和史』pp.288-289〕。 1982年時点の会員数は99人〔〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「漫画集団」の詳細全文を読む
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