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新田 俊純(にった としずみ)は、江戸時代後期の交代寄合旗本。岩松氏の当主。明治維新以前は岩松俊純(いわまつ としずみ)と名乗っていた。維新後、男爵に叙された。 == 経歴 == 文政12年(1829年)、上野国新田郡下田嶋領主・岩松道純の長男として誕生。 天保14年11月15日(1844年1月4日)、元服。安政元年12月27日(1855年2月13日)、家督を相続(「紹襲侯班」とある)する。江戸幕府瓦解時には朝廷に恭順し、慶応4年5月8日(1868年6月27日)に朝臣となり、同年10月9日(11月22日)、中大夫拝命。 明治4年(1871年)、他の旧高家衆・旧交代寄合(一部高禄の領主は立藩し華族となる)と共に士族(新田家は岩鼻県貫属士族を経て群馬県士族)となる。明治16年(1883年)8月13日、華族に列し、同年9月14日、従五位。明治17年(1884年)7月7日、男爵となる。 明治27年(1894年)3月15日逝去。享年66。葬儀は東京で執り行われ谷中・天王寺に埋葬された。 次男・忠純が後継者となり、男爵を賜った(旧岩松誠丸)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新田俊純」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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