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新発田氏[しばた-し]
新発田氏(しばた-し)は北越後の国人で、「揚北衆」と呼ばれた。 佐々木盛綱を祖とする佐々木党であり、加地氏の庶流。一族に五十公野氏がいる。
== 概要 == 室町時代頃より加地氏より分かれ、代々新発田城(新潟県新発田市)を本拠とし新潟津(新潟市)から三条島(三条市)までに及ぶ周辺を支配していた。新発田長敦の代には上杉謙信に従い、天正6年(1578年)の謙信没後に勃発した御館の乱では上杉景勝に従って活躍したが、長敦が急死。急遽弟の重家が新発田家を継いだが、これが原因で恩賞から漏れ、天正9年(1581年)景勝に対して反乱を起こした(新発田重家の乱)。しかし天正15年(1587年)、五十公野城に続き本拠地の新発田城が落城。新発田氏は滅亡した。 ただし重家の弟、盛喜は色部長実の仲介によって後に帰参。母方の姓である新保氏を名乗り、子孫は代々米沢藩侍組として家名を繋いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新発田氏」の詳細全文を読む
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