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新神戸オリエンタルホテル事件 : ウィキペディア日本語版 | 宅見若頭射殺事件[たくみわかがしらしゃさつじけん]
宅見若頭射殺事件(たくみわかがしらしゃさつじけん)とは、1997年(平成9年)8月28日午後3時20分ごろ、兵庫県神戸市中央区の「新神戸オリエンタルホテル」のティーラウンジで、当時五代目山口組(組長は渡辺芳則)のナンバー2にあたる若頭だった宅見勝が、五代目山口組中野会財津組に指揮された4人に射殺された暴力団抗争事件。なおこの事件では宅見以外にも無関係の一般人男性が巻き添えになって死亡した。 == 発端 == 事件の発端となったのは、1996年(平成8年)7月10日に勃発した中野会会長襲撃事件である。 この事件では、ターゲットとされた中野太郎・中野会会長(当時、五代目山口組体制の下で若頭補佐)ら山口組側に死傷者は出ず、また同日、四代目会津小鉄〔当時は現在の「会津小鉄会」という名称ではなく、「会津小鉄」という名称であった。名称については1989年(平成元年)10月、四代目会長の高山登久太郎によって「四代目会津小鉄会」から「四代目会津小鉄」への改称が行われたが、その後1998年(平成10年)12月、五代目会長の図越利次によって「五代目会津小鉄」から「五代目会津小鉄会」へと戻されている。(参考:松江八束建設業暴力追放対策協議会の会津小鉄会に関する概要ページ )〕若頭の図越利次(後の五代目会津小鉄会会長。三代目会津小鉄会・図越利一会長の長男)ら会津小鉄の最高幹部が、五代目山口組総本部を訪れ、会津小鉄系組員が中野を襲撃したことを詫びた。当時山口組のナンバー2であった宅見勝若頭は、この図越利次らの謝罪を受け入れ、当事者である中野とは協議することなく和解した。 しかし中野は、当事者である自分を抜きにして和解した宅見の裁定に激しい不満を抱いた。これがきっかけで、中野と宅見は激しく対立した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宅見若頭射殺事件」の詳細全文を読む
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