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新福島変電所(しんふくしまへんでんしょ)とは、福島県双葉郡富岡町に所在する東京電力の500kV変電所である。福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所からの特別高圧送電線を接続し、首都圏(の外輪系統)に向け500kV送電線を接続している他、東北電力との系統連系も行っている。 == 建設経緯 == === 浜通りの原子力電源と首都圏を接続 === 東京電力が管外発電所として福島第一原子力発電所1号機を建設した際、首都圏への送電のため福島幹線を建設した。その際、同発電所から約20㎞、海岸から約10㎞程内陸に入った地点に本所の前身となる双葉開閉所〔名称の出典は『電気現場技術』1981年3月P59〕を設け、開閉所としては1972年7月に開所した〔「-東京電力-福島東幹線が運開 超々高圧50V網の一環」『電気新聞』1972年12月14日2面 当所が開閉所として開所した件も触れられている。〕。 将来的には発電所内の主変圧器との2段階昇圧によって500kVで送電することを計画したが、3号機の運転開始に伴い、当時既設されていた福島幹線2回線、福島東幹線1回線では送電容量に不足を感じる事態となった。当時、実用回線での500kV送電は1973年より房総線にて開始されていたが、福島幹線においても500kV送電を開始することになり、新福島開閉所に275/500kV、100万kVA主要変圧器2バンクを設置して福島幹線の本所より南側を500kVに昇圧し、新福島変電所として開所した。 なお、双葉郡原発反対同盟など福島第一原子力発電所反対運動は「トランス搬入阻止闘争」を実施〔p53〕、上記の日立製100万kVA変圧器の双葉開閉所への搬入が遅延したことで、福島幹線の昇圧予定と共に大幅に遅延したが、1974年7月11日に最初の1基がトレーラーで搬入された〔「トランス搬入始まる 東電・福島開閉所 単基百万KVAの大型」『電気新聞』1974年7月11日〕〔「電力安定輸送の"大動脈" 五十万Vの東京電力・福島幹線」『電気新聞』1975年5月29日9面〕。 1975年に入ると新福島変電所の設備も50万V昇圧に向けた据付工事が終わり各種試験、官庁検査が進められていた。主な試験内容は初加圧試験、変圧器励磁試験、変電所耐圧試験、リレー・遮断器の動作テストなどであった〔「東電・福島幹線 房総、新袖ヶ浦線につづき下旬、待望の50万V運転 原子力流通網、大幅に強化」『電気新聞』1975年5月17日2面〕。そして、5月17日夕方、官庁検査を終了、福島幹線により50万Vでの送電を開始した。東京電力管内では房総線、新袖ヶ浦線に続く3番目、日本全国では4番目の運転開始であった〔「東電・福島幹線50万V送電を開始」『電気新聞』1975年5月20日2面〕。 また、福島第二原子力発電所が建設された際、接続送電線は本所に結ばれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新福島変電所」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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