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新稲 明(にいな あきら、1934年1月1日 - )身長178cm 所属:株式会社大阪プロダクション 大阪市出身のジャズドラマー。日本で初めてツーバスのセットを使用し始めたことでも知られている。大学時代より米軍キャンプなどでデュークファイブを率いてプロ活動に入り、高度成長期には「東のジョージ川口-西の新稲明」と言われるほどの人気を誇ったが、東京への進出を嫌い、上京要請を拒んで関西に留まったため、メジャーにはならなかった。 新稲明とデュークファイブは、戦後の混乱期を脱した後、新稲明とデュークオーケストラへと発展し、関西放送などの専属バンドも務めた。 2,000年頃までは、関西地方では影の権力者として、大きな影響力を持っていた。 所属していた大阪プロダクションは現在、同名異業種の物が複数存在している。 ==人物== 父親はバイオリニスト、兄弟は全員プロミュージシャンと言う音楽一家に生まれた明は、左利きであったため、そのドラムセットはサウスポー用に配置されていた。また当時の人の中では大柄であったため、非常に目立つ人物でもあった。 ジャズ以外は音楽ではないと言う極端な思想も持っており、他のジャンルを志す者はそれが配下のバンドマンであれ、たとえ親族であっても容赦なく叩き潰すと言う一面を持っていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新稲明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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