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新納忠武[にいろ ただたけ] 新納 忠武(にいろ ただたけ、生年不詳 - 大永元年11月17日(1521年12月15日))は、室町時代後期の薩摩の人。薩摩島津氏の一族である新納氏の7代当主。父は6代忠明。官は近江守。子に忠勝(8代)。 新納氏7代当主。6代忠明の子。大隅志布志領主。明応3年(1494年)、都城の北郷数久とともに梅北の島津忠明を攻撃。忠明を敗走させると梅北を手にいれる。この時の攻撃によって多くの神社・仏閣が焼失したと言われている。 忠武は飫肥を本拠とする豊州家の島津忠朝と対立していたが、島津宗家にも従おうとはしなかった。永正3年(1506年)、島津宗家11代当主忠昌が反乱を起こした大隅高山城の肝付兼久を攻撃したが、忠武が兼久に援軍を送ったため全軍撤退することになる。こうして新納氏は忠武・忠勝の代に周囲の豪族と争いを繰り広げながら、次第に勢力を拡大していった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新納忠武」の詳細全文を読む
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