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新納旅庵[にいろ りょあん] 新納 旅庵(にいろ りょあん、天文12年(1553年) - 慶長7年10月26日(1602年12月9日))は戦国時代の薩摩の武将。薩摩守護島津氏の一族である新納氏の庶流。父は康久。名は長住、号は休閑斎。 島津家家臣。康久の三男(次兄は新納久饒、長兄は戦死している)。日向高原・大隅栗野・薩摩市来地頭。幼少の頃より出家、遊行上人に従い諸国を巡歴、後に肥後八代荘厳寺の住職となり、旅庵と号す。天正15年(1587年)、島津義久の命で還俗、島津義弘の家老となる。朝鮮の役、関ヶ原の戦いでは義弘に従い出陣。伏見城に篭る鳥居元忠の下に向かい入城を申し込むが、拒絶されている。関ヶ原からの退却途中で義弘一行とはぐれ、鞍馬に潜伏、そこで家康の落人詮議役であった、山口直友に見つかり、東軍の捕虜となった。旅庵は徳川家康の尋問を受け、島津義久・忠恒に上洛を促すよう命じられ解放される。関ヶ原以降は家康との交渉にあたり島津家の本領安堵のため奔走した。講和が成立してしばらく後、忠恒に従い上洛していた旅庵は大坂の地で病死している。 なお、フランシスコ・ザビエルにより幼少時に洗礼を受けていたことがあるという。
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