翻訳と辞書 |
新谷嘉孝[しんや よしたか]
新谷 嘉孝(しんや よしたか、1954年8月6日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(外野)。右投右打。1982年から1984年の登録名は『新谷 吉孝』(読み同じ)。 == 来歴・人物 == 三重高校では2年生の時、左翼手として1971年の春の選抜に出場。1回戦で近大付の中司得三投手に抑えられ敗退〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。同年夏の甲子園予選では三岐大会準決勝で長良高に敗れる。翌1972年の夏にも四番打者、中堅手として三岐大会決勝に進むが、海星高に惜敗、甲子園出場を逸する〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。高校1期上に水谷新太郎がいる。 1972年ドラフト6位でロッテ入団。二軍生活が長かったが、1982年、この年監督に就任した山本一義にレギュラーに抜擢され、開幕戦には「八番打者・右翼手」でスタメン出場した。その後も打撃好調で、一時はヒットがすべて長打であった。しかし5月に入ると調子を落とし、6月以降は劔持貴寛に定位置を譲る。翌1983年も準レギュラーとして起用されるが打撃が低迷。同年11月、欠端光則と共に右田一彦・竹之内徹との2対2の交換トレードで大洋に移籍した。しかしここでは一軍に昇格できず1984年限りで現役引退した。 二軍生活が長かったころ、毎日夜はスナックで飲酒し、歌っていたことから「深夜の新谷」のあだ名があった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新谷嘉孝」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|