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新連邦条約[しんれんぽうじょうやく] 新連邦条約(しんれんぽうじょうやく、)は、ソビエト連邦において1991年8月20日に正式調印が予定されていた条約。ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が提案し、同年7月の段階で条約調印の最終合意が成されていたが、8月クーデターによって破棄された。その結果、ソ連は1つの国家としての形態を維持できなくなり、解体へと向かった。 条約は、形式的には連邦制だが実際には中央集権制だったソ連を、より緩やかな国家連合へと再編することで、崩壊の過程をたどっていた連邦を維持しようという内容だった。その中では、国名をソビエト社会主義共和国連邦からソビエト主権共和国連邦()と改称し、連邦を構成していた15共和国の大幅な権限強化が謳われていた。 1991年3月17日には新連邦条約締結の布石として連邦制維持の賛否を問う国民投票が各共和国で行われ、投票者の76.4%が連邦制維持に賛成票を投じることとなった。ロシア連邦共和国で71%(自治共和国も全て70%を超えた〔[http://www.sudd.ch/event.php?lang=en&id=su011991 Sowjetunion, 17. März 1991 : Weiterbestand der UdSSR als Föderation gleichberechtigter und souveräner Staaten -- [in German]]〕)、ウクライナで70%、白ロシアで83%、カザフで94%、ウズベクで90%、キルギスで95%、タジクで96%、トルクメンで98%、アゼルバイジャンで93%が連邦制維持に賛成票を投じた。しかし、既に分離独立を宣言していたバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、モルダビア(現在のモルドバ)、グルジア、アルメニアは投票をボイコットした。 その後の交渉により11月、7共和国が連邦結成条約に同意し、最終的に国名は主権国家連邦()とされた。しかしウクライナは参加せず、エリツィンはロシアの利益を求め同意を破棄した。結果として、ソビエト連邦は1991年12月25日に消滅した。 == 脚注 == 〔
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新連邦条約」の詳細全文を読む
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