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新関 八洲太郎(にいぜき やすたろう、1897年(明治30年)4月2日 - 1978年5月30日)は、日本の実業家で、元三井物産社長・会長。 == 略歴 == * 1897年(明治30年) 埼玉県庁職員の子として、埼玉県に生まれる。 * 埼玉県師範学校附属小学校、津久戸小学校を経て吉井小学校卒業。 * 富岡中学校を経て錦城中学校卒業。 * 1918年(大正7年)3月、東京高等商業学校(のちの一橋大学)卒業。クラスメートに大屋晋三、三杯一太郎らがいた。 * 1918年(大正7年)4月、山下汽船入社。 * 1919年(大正8年)3月、三井物産入社。マルセイユ支店に赴任。 * 1920年(大正9年)11月、ハンブルク支店に赴任。 * 1923年(大正12年)10月、日本に帰国。会計課、営業部長秘書、営業部輸入雑貨掛、レーヨン掛に勤務。 * 1936年(昭和11年)平壌派出員。 * 1939年(昭和14年)メルボルンに赴任。 * 1941年(昭和16年)バンコク支店長。 * 1942年(昭和17年)バタビア支店長。東條英機首相が現地視察した際、「在留邦人代表新関八洲太郎であります。」と述べる。 * 1943年(昭和18年)奉天支店長。 * 1945年(昭和20年)8月19日、ソ連軍が侵入し、その後、中国共産党軍、国民党軍の支配下に置かれた。 * 1946年(昭和21年)8月15日、新京を発ち博多に帰国。 * 1947年(昭和22年)3月、三井物産の重役が全員パージになり、常務取締役に就任。 * 1947年(昭和22年)10月、財閥解体により、第一物産社長に就任。 * 1956年(昭和31年)松永安左エ門の私的シンクタンク産業計画会議委員に就任。 * 1959年(昭和34年)三井物産社長に就任。 * 1961年(昭和36年)三井物産会長に就任。 * 1978年(昭和53年)5月30日、81歳にて死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新関八洲太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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