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鳩谷ダム(はとがやダム)は、岐阜県大野郡白川村、一級河川・庄川水系庄川に建設されたダム。大牧(おおまき)ダムともいう。高さ63.2メートルの重力式コンクリートダムで、関西電力の発電用ダムである。同社の水力発電所・鳩谷発電所に送水し、最大4万300キロワットの電力を発生する。 == 歴史 == 1951年(昭和26年)に設立され、庄川の水力発電所群を継承した関西電力は、同年に成出ダムおよび成出発電所を〔「水力発電所データベース 成出発電所 」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。〕、1954年(昭和29年)に椿原ダムおよび椿原発電所の運転を開始した〔「水力発電所データベース 椿原発電所 」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。〕。同年、それらの上流において鳩谷ダムおよび鳩谷発電所の建設に着手。1956年(昭和31年)に鳩谷発電所が運転を開始した〔「水力発電所データベース 鳩谷発電所 」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。〕。 1961年(昭和36年)、鳩谷ダムの上流に電源開発の御母衣ダムおよび御母衣発電所が完成すると〔「水力発電所データベース 御母衣発電所 」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。〕、関西電力は庄川にある既存のダムに対し再開発事業を展開。1967年(昭和42年)、祖山ダムに新祖山発電所が〔「水力発電所データベース 新祖山発電所 」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。〕、1975年(昭和50年)に成出ダム・椿原ダムに新成出発電所・新椿原発電所が〔「水力発電所データベース 新成出発電所 」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。〕〔「水力発電所データベース 新椿原発電所 」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。〕、1980年(昭和55年)には小原ダムに新小原発電所が増設された〔「水力発電所データベース 新小原発電所 」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。〕。また、成出ダムと小原ダムとの間には赤尾ダムが建設され、赤尾発電所が1978年(昭和53年)に運転を開始している〔「水力発電所データベース 赤尾発電所 」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。〕。 鳩谷ダムにおいても新鳩谷発電所の建設が計画され、関西電力は1998年(平成10年)にその旨を関係各所に申し入れた。新鳩谷発電所は鳩谷ダムの左岸から新たに190立方メートル毎秒の水を取り入れ、最大12万7,000キロワットの電力を発生するというものである。庄川水系にある水力発電所としては御母衣発電所に次ぐ出力を誇り、これによって夏のピーク需要をまかなう。水車発電機は2台で、12万6,000キロワットを発生する1号機と、800キロワットを発生する2号機とで構成。環境に配慮して電力設備の大半は地下に設置される〔関西電力「新鳩谷水力発電所の建設申し入れ及び新鳩谷水力発電所に関する環境影響調査書ならびに環境影響評価準備書の提出について 」(1998年5月11日付、2011年1月7日閲覧)より。〕。 当初の予定では、1999年(平成11年)の夏に電源開発調整審議会上程、2000年(平成12年)8月に着工、2004年(平成16年)2月に運転開始と予定されていた〔。しかし、2000年度経営計画の中で新鳩谷発電所の運転開始年度が2010年(平成22年)度以降に繰り延べとなり〔関西電力「平成12年度経営計画 」(2000年4月4日付、2011年1月7日閲覧)10ページ。〕、2001年(平成13年)度経営計画では2011年(平成23年)度以降とさらにもう1年の繰り延べとなった〔関西電力「平成13年度経営計画 」(2001年3月付、2011年1月7日閲覧)10ページ。〕。2002年(平成14年)度経営計画では、新鳩谷発電所の名前がついに消えてしまった〔関西電力「平成14年度経営計画 」(2002年3月付、2011年1月7日閲覧)より。〕。岐阜県の資料によれば「平成15年5月 事業廃止」〔岐阜県「環境白書(平成16年度版) 」208ページ (2011年1月7日閲覧)より引用。〕とあり、計画は立ち消えとなったようである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鳩谷ダム」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hatogaya Dam 」があります。 スポンサード リンク
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