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孝烈皇后[こうれつこうごう]
孝烈皇后(こうれつこうごう、1510年代? - 1548年1月8日)は、明の嘉靖帝の皇后。姓は方氏。 == 経歴 == 庶民の方鋭の長女として生まれる。嘉靖10年(1531年)に選抜されて後宮に入り、徳嬪となった。嘉靖13年(1534年)、皇后張氏が廃されると、その10日後に皇后に立てられた。嘉靖21年(1542年)2月、父の方鋭は安平侯に封じられた。 嘉靖21年10月、15人の宮女が熟睡中の嘉靖帝を絞殺しようとした暗殺未遂事件()が起こった。宮女の一人・張金蓮が事を皇后に急告して、皇后は嘉靖帝を救い、宮女らを捕らえさせた。嘉靖帝は危篤状態で、御医・許紳の応急手当でようやく危機を脱した。同月、宮女たち、曹端妃、王寧嬪は謀叛罪で凌遅刑に処された。 嘉靖26年11月18日(1548年1月8日)、崩じた。孝烈皇后の諡号を贈られた。嘉靖帝は自身の命を救った恩に報いて、元配(最初にめとった嫡妻、他の妻らより身分が高い)の礼で葬られた。以後、孝烈皇后が元配として扱われ、本来最初の皇后であった陳氏(孝潔皇后)は継妻の扱いを受けた。 嘉靖帝が崩御して隆慶帝が即位すると、孝潔皇后は嘉靖帝に廃されたのではなかったとの理由により、孝烈皇后は継妻に追降された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「孝烈皇后」の詳細全文を読む
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